あうと・おぶ・ばうんず


いまそこにある危機 ― 2025年問題を考える

 さて、第2部社会保障4分野の改革である。

I 少子化対策分野の改革
 1 少子化対策の意義と推進の必要性
 2 子ども・子育て支援新制度等に基づいた施策の着実な実施と更なる課題
 3 次世代育成支援を核とした新たな全世代での支え合いを
III 年金分野の改革
 1 社会保障・税一体改革までの道のりと到達点、残された課題
 2 年金制度体系に関する議論の整理
 3 長期的な持続可能性を強固にし、セーフティネット機能(防貧機能)を強化する改革に向けて
 4 世代間の連帯に向けて

 @これらは論評省略。詳細は原文を参照願います。
次のII医療・介護分野の改革にしぼって論評したい。
ここが本稿の最大のポイントである。

II 医療・介護分野の改革
1 改革が求められる背景と社会保障制度改革国民会議の使命

(1)改革が求められる背景
 社会システムには慣性の力が働く。日本の医療システムも例外ではなく、四半世紀以上も改革が求められているにもかかわらず、20世紀半ば過ぎに完成した医療システムが、日本ではなお支配的なままである。

 日本が直面している急速な高齢化の進展は、疾病構造の変化を通じて、必要とされる医療の内容に変化をもたらしてきた。平均寿命60歳代の社会で、主に青壮年期の患者を対象とした医療は、救命・延命、治癒、社会復帰を前提とした「病院完結型」の医療であった。しかしながら、平均寿命が男性でも80歳近くとなり、女性では86歳を超えている社会では、慢性疾患による受療が多い、複数の疾病を抱えるなどの特徴を持つ老齢期の患者が中心となる。そうした時代の医療は、病気と共存しながらQ O L(Quality of Life)の維持・向上を目指す医療となる。すなわち、医療はかつての「病院完結型」から、患者の住み慣れた地域や自宅での生活のための医療、地域全体で治し、支える「地域完結型」の医療、実のところ医療と介護、さらには住まいや自立した生活の支援までもが切れ目なくつながる医療に変わらざるを得ない。ところが、日本は、今や世界一の高齢国家であるにもかかわらず、医療システムはそうした姿に変わっていない。

 1970年代、1980年代を迎えた欧州のいくつかの国では、主たる患者が高齢者になってもなお医療が「病院完結型」であったことから、医療ニーズと提供体制の間に大きなミスマッチのあることが認識されていた。そしてその後、病院病床数を削減する方向に向かい、医療と介護がQ O Lの維持改善という同じ目標を掲げた医療福祉システムの構築に進んでいった。

 日本では、こうした流れの中で、1985(昭和60)年に第1次医療法改正が行われ、病床数の上限を規制し、都道府県に5年ごとの医療計画の作成が義務づけられた。だが、第1次医療法改正で病床規制の前に駆け込み増床を誘発してしまい、他国に比した日本の病床数の多さは一層際だったものとなる。医療計画も病床過剰地域での病床の増加を抑えることはできても適正数まで減らすことはできない状況が続いている。

 第2次以降の医療法改正において、2001(平成13)年に一般病床と療養病床を区分するなどの見直しが行われたが、医療提供体制の改革の次の大きな動きとして注目すべきは、2008(平成20)年の福田・麻生政権時の社会保障国民会議である。「社会保障の機能強化」と「サービスの効率化」を同時に実現していくことをうたった社会保障国民会議では、迎えるべき超高齢社会である2025(平成37)年度におけるあるべき医療・介護サービスの提供体制を確立する青写真が描かれた。そしてその時に描かれた改革の目的と政策の方向性は、野田政権時の「社会保障・税一体改革大綱」、そして第2次安倍政権における「経済財政運営と改革の方針」と、政権の変遷にかかわらず引き継がれ、医療・介護分野の改革の優先課題として位置づけられ続けてきたのである。

 具体的には、日本の医療・介護サービス提供体制が抱えている問題は、2008(平成20)年6月に公表された「社会保障国民会議第二分科会(サービス保障(医療・介護・福祉)中間とりまとめ」で詳述されており、医療について言えば、人口当たりの病床数は諸外国と比べて多いものの、急性期・回復期・慢性期といった病床の機能分担は不明確であり、さらに、医療現場の人員配置は手薄であり、病床当たりの医師・看護職員数が国際標準よりも少なく過剰労働が常態化していること、この現実が、医療事故のリスクを高め、一人一人の患者への十分な対応を阻んでいることが指摘されていた。

 救急医、専門医、かかりつけ医(診療所の医師)等々それぞれの努力にもかかわらず、結果として提供されている医療の総体が不十分・非効率なものになっているという典型的な合成の誤謬ともいうべき問題が指摘されていたのであり、問題の根は個々のサービス提供者にあるのではない以上、ミクロの議論を積み上げるのでは対応できず、システムの変革そのもの、具体的には「選択と集中」による提供体制の「構造的な改革」が必要となる。要するに、今のシステムのままで当事者が皆で努力し続けても抱える問題を克服することは難しく、提供体制の構造的な改革を行うことによって初めて、努力しただけ皆が報われ幸福になれるシステムを構築することができるのである。

 2008(平成20)年の「社会保障国民会議最終報告」で示された「あるべき医療・介護サービス」提供体制の背景にある哲学は、医療の機能分化を進めるとともに急性期医療を中心に人的・物的資源を集中投入し、後を引き継ぐ回復期等の医療や介護サービスの充実によって総体としての入院期間をできるだけ短くして早期の家庭復帰・社会復帰を実現し、同時に在宅医療・在宅介護を大幅に充実させ、地域での包括的なケアシステムを構築して、医療から介護までの提供体制間のネットワークを構築することにより、利用者・患者のQ O Lの向上を目指すというものであった。

 @慢性疾患による受療が多い、複数の疾病を抱えるなどの特徴を持つ老齢期の患者が中心となる。そうした時代の医療は、病気と共存しながらQ O L(Quality of Life)の維持・向上を目指す医療となる。すなわち、医療はかつての「病院完結型」から、患者の住み慣れた地域や自宅での生活のための医療、地域全体で治し、支える「地域完結型」の医療、実のところ医療と介護、さらには住まいや自立した生活の支援までもが切れ目なくつながる医療に変わらざるを得ない。ところが、日本は、今や世界一の高齢国家であるにもかかわらず、医療システムはそうした姿に変わっていない。

 @高齢化社会では長寿高齢者は慢性疾患による受療が多い、こんなことあたりまえだろう。多くの高齢者は複数の慢性疾患 ー 骨粗鬆症、高血圧、、をかかえながら、診療所に外来通院している現状はおっしゃるとうり。

 で、なんでこれが病床数を強制的に削減してまで、高齢者を在宅での治療においやらなければならないのか?明確な理由が無い。

 はっきりいえばいい。「医療費、社会保障費を削減するためだ」と。つまり、高齢者には専門医による専門的な治療は金がかかるから必要ない、総合診療医とやらがやる、粗診粗療で十分、というわけだ。

 もっともらしい理屈をつけていようが、真意を見誤ってはいけない。財務省厚生労働省官僚のおきまりの、お金が無いから論に騙されてはいけない。

 救急医、専門医、かかりつけ医(診療所の医師)等々それぞれの努力にもかかわらず、結果として提供されている医療の総体が不十分・非効率なものになっているという典型的な合成の誤謬ともいうべき問題が指摘されていた。

 @これについてはまったく同意できない。この人たちは、日本の医療保険制度--国民皆保険制度とわれわれ医療者が提供している医療のレベルがOECD加盟諸国中最優秀であると評価されていることをご存じないらしい。

 現在の医療体制の具体的にどこが不十分で、かつ非効率なのか実証することなく、ただ問題がある、だから改革しなければならない!というのも短絡的過ぎる。

 百歩譲って効率が悪い部分があるとして、ただたんに効率をよくするだけでよいのか?無駄を省くだけでいいのか?

 医療とは患者さんという人間を対象としているのだ。工場での半導体の歩留まり率を上げるのとはワケが違うということを、厚生労働省財務省の冷血、いや冷徹な官僚さんたちは理解できないらしい。君たちにも切れば赤い血が流れているんだろう?温かい、君の家族がモノ扱いされて黙っていられるのか?

 提供されている医療の総体が不十分・非効率なものになっているという典型的な合成の誤謬。。。。。こうやって現在の医療に不備があるから改善しなければならない、という嘘の情報を捏造し、国民を欺瞞し制度を改悪しなければならないのだ、というプロパガンダをおこなう、。まったく悪質である。

きみら官僚の存在自体が「誤謬」なんじゃないのか?

 システムの変革そのもの、具体的には「選択と集中」による提供体制の「構造的な改革」が必要となる。要するに、今のシステムのままで当事者が皆で努力し続けても抱える問題を克服することは難しく、提供体制の構造的な改革を行うことによって初めて、努力しただけ皆が報われ幸福になれるシステムを構築することができるのである。

 @まったくいい加減なことをいってくれますねええ・・・
 今のシステムが悪い、変えればよくなるよ、みんな幸福になれますよ、、???意味不明。
 新興宗教の勧誘じゃあるまいし、、、、、
 まあ、ここまではいい。居酒屋で酔っ払いがクダまいているようなもんだ。ここんところは黙って拝聴しておこう。具体策を提案してもらおうか。

(2)医療問題の日本的特徴
 日本の医療政策の難しさは、これが西欧や北欧のように国立や自治体立の病院等(公的所有)が中心であるのとは異なり、医師が医療法人を設立し、病院等を民間資本で経営するという形(私的所有)で整備されてきた歴史的経緯から生まれている。公的セクターが相手であれば、政府が強制力をもって改革ができ、現に欧州のいくつかの国では医療ニーズの変化に伴う改革をそうして実現してきた。医療提供体制について、実のところ日本ほど規制緩和された市場依存型の先進国はなく、日本の場合、国や自治体などの公立の医療施設は全体のわずか14%、病床で22%しかない。ゆえに他国のように病院などが公的所有であれば体系的にできることが、日本ではなかなかできなかったのである。

 @要するに、お国の言うことを聞かない民間病院が改革を邪魔してきたのだ、ということらしい。こんなこといわせておいていいんですか?民間病院経営者の皆さん!?

 しかしながら、高齢化の進展により更に変化する医療ニーズと医療提供体制のミスマッチを解消することができれば、同じ負担の水準であっても、現在の医療とは異なる質の高いサービスを効率的に提供できることになる。2008(平成20)年の社会保障国民会議から5年経ったが、あの時の提言が実現されているようには見えないという声が医療現場からも多く、ゆえに、当国民会議には多方面から大きな期待が寄せられてきた。さらには、医療政策に対して国の力がさほど強くない日本の状況を鑑み、データの可視化を通じた客観的データに基づく政策、つまりは、医療消費の格差を招来する市場の力でもなく、提供体制側の創意工夫を阻害するおそれがある政府の力でもないものとして、データによる制御機構をもって医療ニーズと提供体制のマッチングを図るシステムの確立を要請する声が上がっていることにも留意せねばならない。そして、そうしたシステムの下では、医療専門職集団の自己規律も、社会から一層強く求められることは言うまでもない。

 @要するに、日本的特徴とやらで、病院のほとんどが私立だったために、言うことを聞かなかった、国がおもうような改革ができなかった、といいたいらしい。

 で、「医療専門職集団の自己規律も、社会から一層強く求められることは言うまでもない。」―――んん??自己規律って?少なくとも君ら官僚諸氏は自己規律とやらがあるらしい?

一方、医療における質的な需給のミスマッチが続いてきたとはいえ、日本の医療費の対GDP比は、現在、OECD諸国の中では中位にあり、世界一の高齢化水準を鑑みれば、決して高い水準にあるとは言えない。日本のような皆保険の下では、価格交渉の場が集権化され、支払側が供給側と比較的強い交渉力を持つことが、医療単価のコントロールに資してきた。こうした中、日本の医療機関は相当の経営努力を重ねてきており、国民皆保険制度、フリーアクセスなどと相まって、日本の医療は世界に高く評価されるコストパフォーマンスを達成してきたと言える。だが、GDPの2倍を超える公的債務残高ゆえに金利の上昇に脆弱な体質を持つ日本は、いたずらな金利の上昇を避けるために財政健全化の具体的進捗を国内外に示し続けなければならないという事情を負っている。

@日本の医療は世界に高く評価されるコストパフォーマンスを達成してきたと言える。
 さすがにかれらもわが国の国民皆保険制度を評価しているようだ。
ただ、コストパフォーマンスといういいかたはひっかかる。やすくてうまい吉O家の牛丼じゃあるまいし、素直に世界最優秀の医療制度だといったらどうかね?たしかに「洗脳された奴隷医」や過労死するまで働く看護師が現場を支えきたという現実はあろうが。。

GDPの2倍を超える公的債務残高ゆえに--ここんとこはまさに財務官僚の意図を汲んで書いている。
 おきまりの「国民一人当たりXXX万円の借金、このままでは財政破綻、支出削減などの財政規律が必要」---まさか、日本国債がデフォルトするうう!!!わが国が財政破綻するううう!!!、大変だあああ!!などといったかれらの悪質なプロパガンダを信じておられるかたはいないとおもうが。。。
 (国の借金は確かにある、しかしその貸し手は国民であり、銀行などの民間企業、なのだ。このことをマスコミは伝えようとはしない)

 念のため自国通貨建てである日本国債のデフォルトがありえないことについては参考資料2外国格付け会社宛意見書要旨を参照願いたい。

 わたしにいわせれば、国債はいくらでも発行できる。日銀が買い取ればいいだけ。財務官僚が好きな「国の借金」もふえないですむ。財源問題は解決すみ、なのである。

 今後、医療・介護の実態ニーズ(実需)の増大が、安定成長・低成長基調への移行の中で進むことになるという展望の中で、必要なサービスを将来にわたって確実に確保していくためには、必要な安定財源を確保していくための努力を行いながらも、医療・介護資源をより患者のニーズに適合した効率的な利用を図り、国民の負担を適正な範囲に抑えていく努力も継続していかなければならない。改革推進法第6条に規定されているとおり皆保険の維持、我々国民がこれまで享受してきた日本の皆保険制度の良さを変えずに守り通すためには、医療そのものが変わらなければならないのである。

 @要するにお金が無いのだから、医療もそれなりに変わっていかなければならない、といいいたいようで。

 財政破綻すると脅して、緊縮財政増税を強い、だから医療社会保障への金も減らすしかない、というこれまた悪質なプロパガンダである。ま、ともかく彼らが医療をどのように変えたいのか、もう少し我慢して読み進むことにする。

 ここで年金財政と比較をすれば、年金給付費の対GDP比は2012(平成24)年度で11.2%、2025(平成37)年度で9.9%とその比率が低下することが期待されているのに、医療給付費は2012(平成24)年度から2025(平成37)年度までの間に7.3%(自己負担を含む総医療費では8.5%)から8.8%(同10.1%)へと1.5%ポイントの増加が試算されており、同時期、介護給付費は1.8%(自己負担を含む総介護費では1.9%)から3.2%(同3.5%)へと1.5%ポイントの増加が見込まれ、財源調達のベースとなるGDPの伸び率を上回って医療・介護給付費が増加することになる。サービスの効率化を図るとはいえ、医療・介護給付費の増加圧力が高まる中で国民皆保険を維持するということは、国民すべての人々のニーズに応じて利用できるよう準備しておくことが望ましい公的サービスが国民経済の中で規模の厚みが増すということである。ゆえに負担面では、保険料・税の徴収と給付段階の両側面において、これまで以上に能力に応じた負担の在り方、負担の公平性が強く求められることになる。

 @国民負担については富裕層のかたにはたくさんお支払いくださいよ、低所得のかたの負担は減らしますよ、これはまあ異論はなかろう。

 ただし、生活保護不正受給などはきちんと是正していただいてからのことであることは論を待たない。在日外国人に生活保護を支給するのは間違い。外国籍のかたは自分の国に面倒みてもらってくださいな。

 さて、かれらのいう「改革」とは?

(3)改革の方向性

(1)基本的な考え方
 まず、日本のように民間が主体となって医療・介護サービスを担っている国では、提供体制の改革は、提供者と政策当局との信頼関係こそが基礎になるべきである。日本の提供体制への診療報酬・介護報酬による誘導は、確かにこれまで効き過ぎるとも言えるほどに効いてきた面があり、政策当局は、過去、そうした手段に頼って政策の方向を大きく転換することもあった。だが、そのような転換は、医療・介護サービスを経営する側からは梯子を外されるにも似た経験にも見え、経営上の不確実性として記憶に刻まれることになる。それは、政策変更リスクに備えて、いわゆる看護配置基準7対1を満たす急性期病院の位置を確保しておいた方が安全、内部留保を十二分に抱えておかなければ不安、など過度に危機回避的な行動につながり、現在の提供体制の形を歪めている一因ともなっている。政策当局は、提供者たちとの信頼関係を再構築させるためにも、病床区分を始めとする医療機関の体系を法的に定め直し、それぞれの区分の中で相応の努力をすれば円滑な運営ができるという見通しを明らかにすることが必要であろう。さらに、これまで長く求められてきた要望に応え、地域完結型」の医療に見合った診療報酬・介護報酬に向け体系的に見直すことなどに、速やかに、そして真摯に取り組むべき時機が既にきていることを認識するべきである。

 また、医療改革は、提供側と利用者側が一体となって実現されるものである。患者のニーズに見合った医療を提供するためには、医療機関に対する資源配分に濃淡をつけざるを得ず、しかし、そこで構築される新しい提供体制は、利用者である患者が大病院、重装備病院への選好を今の形で続けたままでは機能しない。さらにこれまで、ともすれば「いつでも、好きなところで」と極めて広く解釈されることもあったフリーアクセスを、今や疲弊おびただしい医療現場を守るためにも「必要な時に必要な医療にアクセスできる」という意味に理解していく必要がある。そして、この意味でのフリーアクセスを守るためには、緩やかなゲートキーパー機能を備えた「かかりつけ医」の普及は必須であり、そのためには、まず医療を利用するすべての国民の協力と、望ましい医療」に対する国民の意識の変化が必要となる。

 @フリーアクセスを守るためにゲートキーパーが必要?言ってることが矛盾して支離滅裂・・・
 ちなみに、緩やかなゲートキーパー機能を備えた「かかりつけ医」という言葉が出てきたが、日本医師会が提唱した「かかりつけ医」には国民が自由に医療機関を選択する自由を制限するためのゲートキーパーという意味合いはない。自分たちの都合よく盗用して本来とまったく違う目的に使う、換骨奪胎とはこのこと。まったく姑息な連中だ。

 もう少し我慢して拝聴しよう。必要な国民の意識の変化とは?

(2)機能分化とネットワークの構築
 その上で求められる医療と介護の一体的な改革は、次のようにまとめられよう。すなわち、日本は諸外国に比べても人口当たり病床数が多い一方で病床当たり職員数が少ないことが、密度の低い医療ひいては世界的に見ても長い入院期間をもたらしている。他面、急性期治療を経過した患者を受け入れる入院機能や住み慣れた地域や自宅で生活し続けたいというニーズに応える在宅医療や在宅介護は十分には提供されていない。

 そこで、急性期から亜急性期、回復期等まで、患者が状態に見合った病床でその状態にふさわしい医療を受けることができるよう、急性期医療を中心に人的・物的資源を集中投入し、入院期間を減らして早期の家庭復帰・社会復帰を実現するとともに、受け皿となる地域の病床や在宅医療・在宅介護を充実させていく必要がある。この時、機能分化した病床機能にふさわしい設備人員体制を確保することが大切であり、病院のみならず地域の診療所をもネットワークに組み込み、医療資源として有効に活用していくことが必要となる。

 その際、適切な場で適切な医療を提供できる人材が確保できるよう、職能団体には、中心となって、計画的に養成・研修することを考えていく責務がある。

 「病院完結型」の医療から「地域完結型」の医療への転換が成功すると、これまで1つの病院に居続けることのできた患者は、病状に見合った医療施設、介護施設、さらには在宅へと移動を求められることになる。居場所の移動を伴いながら利用者のQ O Lを維持し家族の不安を緩和していくためには、提供側が移動先への紹介を準備するシステムの確立が求められる。ゆえに、高度急性期から在宅介護までの一連の流れ、容態急変時に逆流することさえある流れにおいて、川上に位置する病床の機能分化という政策の展開は、退院患者の受入れ体制の整備という川下の政策と同時に行われるべきものであり、川上から川下までの提供者間のネットワーク化は新しい医療・介護制度の下では必要不可欠となる。そして、こうしたネットワークの中で、患者の移動が円滑に行われるよう、医療機関側だけでなく、患者側にもインセンティブが働くシステムとなることが望ましい。

 加えて、今般の国民会議の議論を通じて、地域により人口動態ひいては医療・介護需要のピークの時期や程度が大きく異なり、医療・介護資源の現状の地域差も大きい実態が浮かび上がり、医療・介護の在り方を地域ごとに考えていく「ご当地医療」の必要性が改めて確認された。

 こうした改革の必要性や方向性は幅広く共有されながらも、実際の行政の取組としては、地域において診療所を含む医療機関の一般病床が担っている医療機能の情報を都道府県に報告する仕組みを医療法令上の制度として設けることなどが計画されてきたにとどまっており、改革が実現に至るにはなお長い道程が見込まれてきた。

 しかしながら、国民の医療・介護ニーズと提供体制のミスマッチが続いたまま医療費や介護費の増大を招けば、国民負担増大の抑制の観点から、必要な医療・介護まで保険給付の対象から外すなどの対応が一律的に行われたり、緊急性の高い救急医療を緊急性の低い医療が押しのけたりといった事態を招きかねない。改革推進法による国民負担の増大の抑制と必要な医療・介護の確保という要請を両立させていくためには、ニーズと提供体制のマッチングを図る改革を待ったなしで断行していかねばならないのである。

 @かつてはほとんどが病院で死をむかえていたのを改めて、これからは医療と介護は在宅でおこない、看取りも在宅でという流れをつくりたいようだ。地域ごとに適した医療と介護をおこなう、これがご当地介護、だそうだ。なにやらラーメンの宣伝みたいだが。。。

 動機はもちろん、「財政再建のための医療費増の抑制、緊縮財政」である。そろそろ本音がでできました。
そのためのシステムの構築について後述されている。

(3)健康の維持増進等
 その際、国民のQ O Lを高めるとともに、高齢者の社会参加も含め、社会の支え手を少しでも増やしていく観点からも、国民の健康の維持増進、疾病の予防及び早期発見等を積極的に促進する必要も生まれてくる。具体的には、医療関連情報の電子化・利活用のインセンティブを医療提供者に持たせるように取り組むとともに、医療保険者がICTを活用してレセプト等データを分析し、加入者の健康づくりを行うなど疾病予防の促進等を図ることで、国民の健康寿命を延ばし、平均寿命との差の短縮を目指していかなければならない。医療保険者はその加入者の健康維持・疾病予防に積極的に取り組むようインセンティブが働く仕組みを構築するとともに、加入者の自発的な健康づくりへのサポートの在り方等も検討すべきである。
 総括して言えば、この社会保障制度改革国民会議の最大の使命は、前回の社会保障国民会議で示された医療・介護提供体制改革に魂を入れ、改革の実現に向けて実効性と加速度を加えることにあると言っても過言ではない。

 @まあ、ご高説はご高説としてうけたまわっておきますが。。。。
 では医療と介護を具体的にどうしたいと考えているの?については以下。

2 医療・介護サービスの提供体制改革

(1)病床機能報告制度の導入と地域医療ビジョンの策定
 医療提供体制改革の実現に向けた第1弾の取組として、これまで検討が進められてきた医療機能に係る情報の都道府県への報告制度(「病床機能報告制度」)を早急に導入する必要がある。

 次いで、同制度により把握される地域ごとの医療機能の現状や高齢化の進展を含む地域の将来的な医療ニーズの客観的データに基づく見通しを踏まえた上で、その地域にふさわしいバランスのとれた医療機能ごとの医療の必要量を示す地域医療ビジョンを都道府県が策定することが求められる。さらには、地域医療ビジョンの実現に向けて医療機能の分化と連携が適切に推進されることが、中期的な医療計画と病床の適切な区分を始めとする実効的な手法によって裏付けられなければならない。その際には、医師・診療科の偏在是正や過剰投資が指摘される高額医療機器の適正配置も視野に入れる必要がある。

 地域医療ビジョンについては、都道府県において現状分析・検討を行う期間を確保する必要はあるものの、次期医療計画の策定時期である2018(平成30)年度を待たず速やかに策定し、直ちに実行に移していくことが望ましい。その具体的な在り方については、国と策定主体である都道府県とが十分協議する必要がある。

 地域ごとの医療機能の現状や高齢化の進展を含む地域の将来的な医療ニーズの客観的データに基づく見通しを踏まえた上で、その地域にふさわしいバランスのとれた医療機能ごとの医療の必要量を示す地域医療ビジョンを都道府県が策定することが求められる。

 @わかりにくいいいまわしだが、「医療と介護」を地域ごとに分断しておこないたいらしい。

 なんでも分割して矮小化しさえすれば統治統括しやすいと考える、役人らしい発想である。(そういやあ、地方分権、地域主権、道州制導入、となんとかの一つ覚えのように主張する連中がいるが、まあ、似たようなもんだ。こいつらは、日本の国力を削ぐことに血道をあげる反日サヨク売国奴、とわたしは認識している。

 ちなみに地方分権で、国家をいくつかの地方政府に小さく分断した結果、とんでもないことになっている失敗例がスペインである。是非ググっていただきたい。)

 医療介護はシステム化効率化とはもっとも相容れない性質のものだということがそもそも理解できていない。人間、そして人の人生ををシステム化効率化することは不可能である。

 その「人間の根源」をあつかうのが医療であり、スペシャリストとしてのわれわれ医師なのである。

 だからこそこの職業に誇りをもってあたれる。まあコッパ役人風情には永久に理解できないだろうが。。。そういった連中が医療と介護を牛耳っていることこそが深刻な問題なのだ。

 これは介護についても同じようにいえる。人間を金を生み出す道具のようにしかおもわない連中が介護事業に参入している。(全部とはいわないが。。。)

 医師としての教育をうけていないから医の倫理、などといっても馬耳東風。

 最初に触れた。某大学院の教授も、「介護の現場に営利目的の民間業者の参入を許したのが根本的な間違いだった。医療の現場を理解できていない人間に、介護が理解できるわけが無い。せめてケアマネージャーだけは看護師さんたちになっていただきたいとおもっておるが、それほど多くなっていないのが現状だ。」と嘆いておられた。

 わたしは本来医療と介護は不可分であると考えている。医療は介護であり、介護は医療なのであり、営利目的の連中の参入を許したことがそもそもの間違いであるという、教授のいわれることに同意したい。

 いまやTPPとやらで、混合診療のもとに医療までが金の亡者の侵蝕にさらされつつある現状を深く憂える。

(2)都道府県の役割強化と国民健康保険の保険者の都道府県移行
 今般の国民会議の議論を通じて、医療の在り方を地域ごとに考えていく必要性が改めて確認された。このため、本年6月の閣議決定「経済財政運営と改革の基本方針」にも示されたとおり、地域ごとの実情に応じた医療提供体制を再構築することが求められる。

 このような状況の下、医療計画の策定者である都道府県が、これまで以上に地域の医療提供体制に係る責任を積極的かつ主体的に果たすことができるよう、マンパワーの確保を含む都道府県の権限・役割の拡大が具体的に検討されて然るべきである。また、医療提供体制の整備については、医療保険の各保険者等の関係者の意見も聞きながら、進めていくことが望ましい。

 効率的な医療提供体制への改革を実効あらしめる観点からは、国民健康保険に係る財政運営の責任を担う主体(保険者)を都道府県とし、更に地域における医療提供体制に係る責任の主体と国民健康保険の給付責任の主体を都道府県が一体的に担うことを射程に入れて実務的検討を進め、都道府県が地域医療の提供水準と標準的な保険料等の住民負担の在り方を総合的に検討することを可能とする体制を実現すべきである。ただし、国民健康保険の運営に関する業務について、財政運営を始めとして都道府県が担うことを基本としつつ、保険料の賦課徴収・保健事業など引き続き市町村が担うことが適切な業務が存在することから、都道府県と市町村が適切に役割分担を行い、市町村の保険料収納や医療費適正化へのインセンティブを損なうことのない分権的な仕組みを目指すべきである。

 こうした国民健康保険の保険者の都道府県移行は積年の課題であったが、時あたかも、長年保険者となることについてはリスク等もあり問題があるという姿勢をとり続けてきた知事会が、国民健康保険について、「国保の構造的な問題を抜本的に解決し、将来にわたり持続可能な制度を構築することとした上で、国保の保険者の在り方について議論すべき」との見解を市長会・町村会と共同で表明し、さらに、知事会単独で、「構造的な問題が解決され持続可能な制度が構築されるならば、市町村とともに積極的に責任を担う覚悟」との見解を表明している。

 この時機を逸することなくその道筋を付けることこそが当国民会議の責務である。

 その際に必要となる国民健康保険の財政的な構造問題への対応については後述するが、いずれにせよ、国民健康保険の保険者の都道府県移行の具体的な在り方については、国と地方団体との十分な協議が必要となる。また、当該移行については、次期医療計画の策定を待たず行う医療提供体制改革の一環として行われることを踏まえれば、移行に際し、様々な経過的な措置が必要となることは別として、次期医療計画の策定前に実現すべきである。

 @要するに、もう国は面倒見ない、都道府県と市町村が連携してやってちょうだい、ということらしい。医療と介護は国民の生命に直結する安全保障と位置づけられる重要課題である。

 国として無責任ではないかね?シナ北朝鮮の侵略を防ぐのに、自治体単位でやってくれ、というようなものである。

 それにその地域にふさわしいバランスのとれた医療機能ごとの医療の必要量を示す地域医療ビジョン、といったって、東京のように一人勝ちの豊かな地域と、僻地をかかえる地域では、経済格差はもちろん、医師数病院数などについても格差ががありすぎる。

 やりたくても金が無い、医者がいない、といった事情も出てくるだろう。そういった、僻地は切り捨てるのか?地域格差は冷酷に無視するのかね?温情あふれる官僚さんよ!国家の意志として、国民の生命を国家が守り、保障する気概を示すことこそが求められているのではないか!?あまりにも無責任というほかない!制度の改悪には反対である。どうしても地域単位で、というなら、前述の地域格差経済格差を十分に考慮して、国家が関与して責任を持った体制を整備することが必要である。

 安倍総理よ!社会保障から逃げてはならない!

(3)医療法人制度・社会福祉法人制度の見直し
 医療法人等の間の競合を避け、地域における医療・介護サービスのネットワーク化を図るためには、当事者間の競争よりも協調が必要であり、その際、医療法人等が容易に再編・統合できるよう制度の見直しを行うことが重要である。
 このため、医療法人制度・社会福祉法人制度について、非営利性や公共性の堅持を前提としつつ、機能の分化・連携の推進に資するよう、例えばホールディングカンパニーの枠組みのような法人間の合併や権利の移転等を速やかに行うことができる道を開くための制度改正を検討する必要がある。

 複数の医療法人がグループ化すれば、病床や診療科の設定、医療機器の設置、人事、医療事務、仕入れ等を統合して行うことができ、医療資源の適正な配置・効率的な活用を期待することができる。

 あわせて、介護事業者も含めたネットワーク化や高齢化に伴いコンパクトシティ化が進められているまちづくりに貢献していくことも見据えて、医療法人や社会福祉法人が非営利性を担保しつつ都市再開発に参加できるようにする制度や、ヘルスケアをベースとしたコンパクトシティづくりに要する資金調達の手段を、今後慎重に設計されるべきヘルスケアリート等を通じて促進する制度など、総合的な規制の見直しが幅広い観点から必要である。

 特に、社会福祉法人については、経営の合理化、近代化が必要であり、大規模化や複数法人の連携を推進していく必要がある。また、非課税扱いとされているにふさわしい、国家や地域への貢献が求められており、低所得者の住まいや生活支援などに積極的に取り組んでいくことが求められている。

 @ヘルスケアをベースとしたコンパクトシティ。。。わけのわからん新造語で煙に巻こうとしているようだが。。。

 一方では分割して効率化、といっておきながら、こっちでは、統括統合して効率化、自己矛盾に陥っていることに気がついておられないようだ。

 ともあれ、いよいよ本題である。

(4)医療と介護の連携と地域包括ケアシステムというネットワークの構築
 「医療から介護へ」、「病院・施設から地域・在宅へ」という流れを本気で進めようとすれば、医療の見直しと介護の見直しは、文字どおり一体となって行わなければならない。

 @「医療から介護へ」、「病院・施設から地域・在宅へ」という流れ」
 はいはいでましたよ!本音が。その「流れ」、って誰が言ったの?日本医師会は一言もいっていないよ?

 まあいい、もうすこし黙って拝聴しよう。

高度急性期から在宅介護までの一連の流れにおいて、川上に位置する病床の機能分化という政策の展開は、退院患者の受入れ体制の整備という川下の政策と同時に行われるべきものであり、また、川下に位置する在宅ケアの普及という政策の展開は、急性増悪時に必須となる短期的な入院病床の確保という川上の政策と同時に行われるべきものである。

 今後、認知症高齢者の数が増大するとともに、高齢の単身世帯や夫婦のみ世帯が増加していくことをも踏まえれば、地域で暮らしていくために必要な様々な生活支援サービスや住まいが、家族介護者を支援しつつ、本人の意向と生活実態に合わせて切れ目なく継続的に提供されることも必要であり、地域ごとの医療・介護・予防・生活支援・住まいの継続的で包括的なネットワーク、すなわち地域包括ケアシステムづくりを推進していくことも求められている。

 この地域包括ケアシステムは、介護保険制度の枠内では完結しない。例えば、介護ニーズと医療ニーズを併せ持つ高齢者を地域で確実に支えていくためには、訪問診療、訪問口腔ケア、訪問看護、訪問リハビリテーション、訪問薬剤指導などの在宅医療が、不可欠である。自宅だけでなく、高齢者住宅に居ても、グループホームや介護施設その他どこに暮らしていても必要な医療が確実に提供されるようにしなければならず、かかりつけ医の役割が改めて重要となる。そして、医療・介護サービスが地域の中で一体的に提供されるようにするためには、医療・介護のネットワーク化が必要であり、より具体的に言えば、医療・介護サービスの提供者間、提供者と行政間など様々な関係者間で生じる連携を誰がどのようにマネージしていくかということが重要となる。確かに、地域ケア会議や医療・介護連携協議会などのネットワークづくりの場は多くの市町村や広域圏でできているが、今のところ、医療・介護サービスの提供者が現場レベルで「顔の見える」関係を構築し、サービスの高度化につなげている地域は極めて少ない。成功しているところでは、地域の医師等民間の熱意ある者がとりまとめ役、市町村等の行政がその良き協力者となってマネージしている例が見られることを指摘しておきたい。

 @医療と介護の緊密な連携によって、一人の高齢者を見守っていこう、というコンセプトには賛成である。

 介護業者の勝手な暴走を主治医がチェックできるというメリットもある。
 問題は、その具体策である。

 こうした地域包括ケアシステムの構築に向けて、まずは、2015(平成27)年度からの第6期以降の介護保険事業計画を「地域包括ケア計画」と位置づけ、各種の取組を進めていくべきである。

 具体的には、高齢者の地域での生活を支えるために、介護サービスについて、24時間の定期巡回・随時対応サービスや小規模多機能型サービスの普及を図るほか、各地域において、認知症高齢者に対する初期段階からの対応や生活支援サービスの充実を図ることが必要である。これと併せて、介護保険給付と地域支援事業の在り方を見直すべきである。地域支援事業については、地域包括ケアの一翼を担うにふさわしい質を備えた効率的な事業(地域包括推進事業(仮称)として再構築するとともに、要支援者に対する介護予防給付について、市町村が地域の実情に応じ、住民主体の取組等を積極的に活用しながら柔軟かつ効率的にサービスを提供できるよう、受け皿を確保しながら新たな地域包括推進事業(仮称)に段階的に移行させていくべきである。  また、地域包括ケアの実現のためには地域包括支援センターの役割が大きい。かかりつけ医機能を担う地域医師会等の協力を得つつ、在宅医療と介護の連携を推進することも重要である。これまで取り組んできた在宅医療連携拠点事業について、地域包括推進事業として制度化し、地域包括支援センターや委託を受けた地域医師会等が業務を実施することとすべきである。

 さらに、中低所得層の高齢者が地域において安心して暮らせるようにするため、規制改革等を進めつつ、地域の実情に応じ、介護施設等はもとより、空家等の有効活用により、新たな住まいの確保を図ることも重要である。

 なお、地域医療ビジョン同様に、地域の介護需要のピーク時を視野に入れながら2025(平成37)年度までの中長期的な目標の設定を市町村に求める必要があるほか、計画策定のために地域の特徴や課題が客観的に把握できるようにデータを整理していく仕組みを整える必要がある。また、上記(1)で述べた都道府県が策定する地域医療ビジョンや医療計画は、市町村が策定する地域包括ケア計画を踏まえた内容にするなど、医療提供体制の改革と介護サービスの提供体制の改革が一体的・整合的に進むようにすべきである。

 いずれにせよ、地域包括ケアシステムの確立は医療・介護サービスの一体改革によって実現するという認識が基本となる。こうした観点に立てば、将来的には介護保険事業計画と医療計画とが、市町村と都道府県が共同して策定する一体的な「地域医療・包括ケア計画」とも言い得るほどに連携の密度を高めていくべきである。

 なお、地域包括ケアシステムを支えるサービスを確保していくためには、介護職員等の人材確保が必要であり、処遇の改善やキャリアパスの確立などを進めていく必要がある。また、地域医師会等の協力を得ながら、複数の疾患を抱える高齢者が自分の健康状態をよく把握している身近な医師を受診することを促す体制を構築していくことも必要である。

 @下記に厚生労働省HPより引用した模式図を掲載する。
 大体このようなイメージを厚生労働省は抱いているようだ。
 これらについては批判すべき部分があり、このままうけいれるわけにはいかない。
 日本医師会として、きちんと対案を出すべきである。
 第二部でわたしなりの批判と改善案を論じてみたい。

http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/index.html
地域包括ケアシステムは、保険者である市町村や都道府県が、地域の自主性や主体性に基づき、地域の特性に応じて作り上げていくことが必要です。



出典:平成25年3月地域包括ケア研究会報告書より

(5)医療・介護サービスの提供体制改革の推進のための財政支援
 医療・介護サービスの提供体制改革の推進のために必要な財源については、消費税増収分の活用が検討されるべきである。具体的には、病院・病床機能の分化・連携への支援、急性期医療を中心とする人的・物的資源の集中投入、在宅医療・在宅介護の推進、更には地域包括ケアシステムの構築に向けた医療と介護の連携、生活支援・介護予防の基盤整備、認知症施策、人材確保などに活用していくことになる。ただし、その活用が提供体制の改革に直接的に結びついてこそ、消費税増収分を国民に還元するという所期の目的は果たされることになる。

 その活用の手段として、診療報酬・介護報酬の役割も考えられるが、医療・介護サービスの提供体制改革に係る診療報酬や介護報酬の活用については、福田・麻生政権時の社会保障国民会議の際には、体系的な見直しが前提とされていたことに留意する必要があり、医療・介護サービスの在り方が「地域完結型」に変わるからには、それに資するよう、診療報酬・介護報酬の体系的見直しを進めていく必要がある。

 また、今般の国民会議で提案される地域ごとの様々な実情に応じた医療・介護サービスの提供体制を再構築するという改革の趣旨に即するためには、全国一律に設定される診療報酬・介護報酬とは別の財政支援の手法が不可欠であり、診療報酬・介護報酬と適切に組み合わせつつ改革の実現を期していくことが必要と考えられる。医療機能の分化・連携には医療法体系の手直しが必要であり、また、病院の機能転換や病床の統廃合など計画から実行まで一定の期間が必要なものも含まれることから、その場合の手法としては、基金方式も検討に値しよう。

 この財政支援については、病院等の施設や設備の整備に限らず、地域における医療従事者の確保や病床の機能分化及び連携等に伴う介護サービスの充実なども対象とした柔軟なものとする必要がある。

 いずれにせよ、消費税増収分の活用の前提として、地域医療ビジョン、地域包括ケア計画等の策定を通じ、地域の住民にもそれぞれの地域の医療や介護サービスに対する還元のありようが示されることが大切である。

 @財源については、消費税をあてる、ということになっていたはずであるが???そもそも社会保障と税の一体改革とは、そういう概念だったはず。基金方式?何を言いたいのかさっぱりわからない。

 今後財源についてはきっちり国会で議論していただくとしよう。

 さて、医療のあり方についてどう考えているのか?われわれ医師の最大の関心事について以下のように述べられている。

 わたしの忌み嫌う齟齬医=総合診療医がでてきます。

(6)医療の在り方
 医療の在り方そのものも変化を求められている。

 高齢化等に伴い、特定の臓器や疾患を超えた多様な問題を抱える患者が増加する中、これらの患者にとっては、複数の従来の領域別専門医による診療よりも総合的な診療能力を有する医師(総合診療医)による診療の方が適切な場合が多い。

 これらの医師が幅広い領域の疾病と傷害等について、適切な初期対応と必要に応じた継続医療を提供することで、地域によって異なる医療ニーズに的確に対応できると考えられ、さらに、他の領域別専門医や他職種と連携することで、全体として多様な医療サービスを包括的かつ柔軟に提供することができる。

 このように「総合診療医」は地域医療の核となり得る存在であり、その専門性を評価する取組(「総合診療専門医」)を支援するとともに、その養成と国民への周知を図ることが重要である。

 @総合医は医療に齟齬をきたす齟齬医と喝破したわたしの大嫌いな「総合診療医」がでてきました。詳細は医風NO.75 2010 の拙文「総合医は医療費抑制の切り札か?それとも医療崩壊をもたらす悪魔の使者か?」を参照願いたい。

 ここでは、スウエーデンの総合医制度の悲惨な実情とともにわたしの総合診療医にたいする見解を参考資料3に引用しておく。

 さて、つっこみどころ満載の文章であるが、、

 高齢化等に伴い、特定の臓器や疾患を超えた多様な問題を抱える患者が増加する中、これらの患者にとっては、複数の従来の領域別専門医による診療よりも総合的な診療能力を有する医師(総合診療医)による診療の方が適切な場合が多い。

 現場も知らないド素人が何を偉そうに、、高齢者はたくさんの疾患をかかえているからこそ、専門医による診察が必要なのではないですか?

 高血圧不整脈糖尿病に骨粗鬆症、変形性膝関節症、変形性脊椎症、脊椎圧迫骨折、白内障、緑内障に前立腺肥大老人性皮膚掻痒症、、

 ひとりの医者が全部診療できるのかね?総合的な診療能力を有する医師?そんなスーパーマンみたいな医者をどうやって作り出すのかね?手品じゃあるまいし。。。

 それともなにか?余命いくばくもない高齢者には専門医がきちんと診る必要がない、総合診療医による粗診粗療でかまわないんだとでも?

 それにわざと言及していない点があることがきにくわない。要するに「病気ごとにいちいち専門医にいかれたら医療費がいくらあっても足りない。総合診療医が一人で全部適当にみてくれたら、医療費の節約になる」これが本音だろうが、まったく姑息な連中だ。はっきりいえばいいだろうが、、、

 もちろん、そのような医師の養成と並行して、自らの健康状態をよく把握した身近な医師に日頃から相談・受診しやすい体制を構築していく必要がある。これに併せて、医療職種の職務の見直しを行うとともに、チーム医療の確立を図ることが重要である。

 @身近な医師?チーム医療?総合診療医に全部まかすんじゃなかったの?支離滅裂。。

 医療従事者の確保と有効活用の観点からは、さらに、激務が指摘される医療機関の勤務環境を改善する支援体制を構築する等、医療従事者の定着・離職防止を図ることが必要である。特に、看護職員については、養成拡大や潜在看護職員の活用を図るために、看護大学の定員拡大及び大卒社会人経験者等を対象とした新たな養成制度の創設、看護師資格保持者の登録義務化等を推進していく必要がある。

 なお、医療職種の職務の見直しは医師不足問題にも資するものがある。医師不足と言われる一方で、この問題は必ずしも医師数の問題だけではなく、医師でなければ担えない業務以外の仕事も医師が担っているために医師不足が深刻化している側面がある。その観点から、医師の業務と看護業務の見直しは、早急に行うべきである。

 @いわゆる、「ナースプラクテイショナー制度」の導入を目論んでいるのだろう。医風NO.75 2010 の拙文を参照願いたい。

 医師の領域を侵すことになるこの制度導入にはわたしは反対である。

 加えて、死生観・価値観の多様化も進む中、改革推進法(第6条第3号)にも規定されているとおり、「個人の尊厳が重んぜられ、患者の意思がより尊重されるよう必要な見直しを行い、特に人生の最終段階を穏やかに過ごすことができる環境を整備すること」が求められている。

 医療の在り方については、医療提供者の側だけでなく、医療を受ける国民の側がどう考え、何を求めるかが大きな要素となっている。超高齢社会に見合った「地域全体で、治し・支える医療」の射程には、そのときが来たらより納得し満足のできる最期を迎えることのできるように支援すること-すなわち、死すべき運命にある人間の尊厳ある死を視野に入れた「Q O D(クォリティ・オブ・デス)を高める医療」-も入ってこよう。「病院完結型」の医療から「地域完結型」の医療へと転換する中で、人生の最終段階における医療の在り方について、国民的な合意を形成していくことが重要であり、そのためにも、高齢者が病院外で診療や介護を受けることができる体制を整備していく必要がある。

 また、慢性疾患の増加は、低い確率でも相対的に良いとされればその医療が選択されるという確率論的医療が増えることにつながる。

 @確率論的医療、、、何を言いたいのか意味不明医療の専門家がいないとはいえ杜撰すぎる。
死生観・価値観の多様化、Q O D(クォリティ・オブ・デス)、、

 @なにやら哲学めいた文言がでてきたが、クォリティ・オブ・デスを論ずるなら、安楽死や尊厳死、自決権まで言及すべきであろう。ここで君らと哲学論争をするつもりはない。余計なことは言及しないほうがいい。

 より有効でかつ効率的な医療が模索される必要があり、そのためには、医療行為による予後の改善や費用対効果を検証すべく、継続的なデータ収集を行うことが必要である。

 @まあコストパフォーマンスに素直に言及していることは評価しよう。

 例えば、関係学会等が、日々の診療行為、治療結果及びアウトカムデータ(診療行為の効果)を、全国的に分野ごとに一元的に蓄積・分析・活用する取組を推進することが考えられ、これらの取組の成果に基づき、保険で承認された医療も、費用対効果などの観点から常に再評価される仕組みを構築することも検討すべきである。  さらには、国が保有するレセプト等データの利活用の促進も不可欠である。具体的には、個人情報保護にも配慮しつつ、現状は利用者の範囲や使用目的が限定されている使用条件を緩和し、幅広い主体による適時の利活用を促すため、データ提供の円滑化に資する対策を講ずべきである。  こうした努力は、データに基づく医療システムの制御という可能性を切り開くものであり、日本の医療の一番の問題であった、制御機構がないままの医療提供体制という問題の克服に必ずや資するものがある。

 @制御機構がないままの医療提供体制。。。
 われわれ医師は野放図に、勝手気ままに医療をおこなってきた、誰も注意しなかったから、だから社会保障制度が財政破綻するのだ、といいいたいのか?ずいぶんなことをいってくれますなあ、、いくら御用学者だからと言っていいことと、悪いことの区別くらいしなさいな。

 じゃあ制御機構のないままやりたい放題やってきた君らの官僚体制、はどうするんだといいたいね。まさか君らの敬愛する大先輩岡光君の不祥事を忘れたわけではないだろうねええ、。。

(7)改革の推進体制の整備
 都道府県ごとの「地域医療ビジョン」等の策定、これらを踏まえた医療機能の分化、医療・介護提供者間のネットワーク化等の医療・介護の一体改革、さらには国民健康保険の保険者の都道府県への移行は、いずれも国民皆保険制度発足以来の大事業になる。市町村ごとに中学校校区単位の地域包括ケアシステムを構築することも介護保険創設時に匹敵する難作業となろう。地域ぐるみの官民協力が不可欠な中、国も相応の責任を果たしていかねばならない。

 今般の社会保障制度改革を実現するエンジンとして、政府の下に、主として医療・介護サービスの提供体制改革を推進するための体制を設け、厚生労働省、都道府県、市町村における改革の実行と連動させていかねばならない。

 その際、まず取り組むべきは、各2次医療圏における将来の性別、年齢階級別の人口構成や有病率等のデータを基に各地域における医療ニーズを予測し、各地域の医療提供体制がそれに合致しているかを検証した上で、地域事情に応じた先行きの医療・介護サービス提供体制のモデル像を描いていくことであり、こうしたデータ解析のために国が率先して官民の人材を結集して、先駆的研究も活用し、都道府県・市町村との知見の共有を図っていくことであろう。また、このデータ解析により、実情に合っていないと評されることもある現今の2次医療圏の見直しそのものも可能となる。

 @まあ、このへんはきみら厚生労働省ほか関係官僚のお仕事だろう。しっかりやってくれ。

3 医療保険制度改革
(1)財政基盤の安定化、保険料に係る国民の負担に関する公平の確保知事会が「構造 的な問題が解決され持続可能な制度が構築されるならば、市町村とともに積極的に責任を担う覚悟」を表明しており、時機を逸することなくその道筋をつけることこそが国民会議の責務であると先に述べた。この国民健康保険の都道府県化とかかわる課題として、国民会議の最優先課題である医療・介護サービスの提供体制改革に加え、改革推進法(第6条第2号)にも規定されているとおり、医療保険制度について、「財政基盤の安定化」と「保険料に係る国民の負担に関する公平の確保」を図ることも必要である。

 改革推進法(第6条)はまず国民皆保険制度の維持の必要性を掲げていることから、「財政基盤の安定化」については、国民皆保険制度の最終的な支え手(ラストリゾート)である国民健康保険の財政基盤の安定化が優先課題となる。

 具体的には、国民健康保険は、被用者保険と比べて、
(1)無職者・失業者・非正規雇用の労働者などを含め低所得者の加入者が多い、
(2)年齢構成が高く医療費水準が高い、
(3)所得に占める保険料負担が重いといった課題を抱えており、こうしたこともあり、毎年度、市町村が多額の赤字補填目的の法定外繰入を行っている。

 さらに、保険財政運営が不安定となるリスクの高い小規模保険者の存在や、地域ごとの保険料格差が非常に大きいという課題もある。国民皆保険制度を守るためには、こうした現在の市町村国保の赤字の原因や運営上の課題を、現場の実態を踏まえつつ分析した上で、国民健康保険が抱える財政的な構造問題や保険者の在り方に関する課題を解決していかなければならない。

 このためには、従来の保険財政共同安定化事業や高額医療費共同事業の実施による対応を超えて、財政運営の責任を都道府県にも持たせることが不可欠であり医療提供体制改革の観点をも踏まえれば、上記2(2)で述べた国民健康保険の保険者の都道府県移行が必要となろう。

 ただし、国民健康保険の財政的な構造問題を放置したまま、国民健康保険の保険者を都道府県としたとしても、多額の赤字を都道府県に背負わせるだけである。  したがって、抜本的な財政基盤の強化を通じて国民健康保険の財政的な構造問題の解決が図られることが、国民健康保険の保険者を都道府県に移行する前提条件となる。その財源については、後述する後期高齢者支援金に対する負担方法を全面総報酬割にすることにより生ずる財源をも考慮に入れるべきである。

 その際には、財政基盤の強化のために必要な公費投入だけでなく、保険料の適正化など国民健康保険自身の努力によって、国民健康保険が将来にわたって持続可能となるような仕組みについても検討すべきである。さらに、国民健康保険の保険者を都道府県とした後であっても、保険料の賦課徴収等の保険者機能の一部については引き続き市町村が担うことや、前期高齢者に係る財政調整などを通じて被用者保険から国民健康保険に多額の資金が交付されている実態を踏まえると、国民健康保険の運営について、都道府県・市町村・被用者保険の関係者が協議する仕組みを構築しておくことも必要であろう。

 なお、多くの非正規雇用の労働者が国民健康保険に加入しており、被用者保険の適用拡大を進めていくことも重要である。

 次に、「保険料に係る国民の負担に関する公平の確保」についても、これまで保険料負担が困難となる国民健康保険の低所得者に対して負担軽減が図られてきたことが、国民皆保険制度の維持につながってきたことを踏まえるべきである。

 したがって、まず、国民健康保険の低所得者に対する保険料軽減措置の拡充を図るべきであり、具体的には、対象となる軽減判定所得の基準額を引き上げることが考えられる。

 このような低所得者対策は、低所得者が多く加入する国民健康保険に対する財政支援の拡充措置と併せ、今般の社会保障・税一体改革に伴う消費税率引上げにより負担が増える低所得者への配慮としても適切なものである。もっとも、税制面では、社会保障・税一体改革の一環として所得税、相続税の見直しによる格差是正も図られている。医療保険制度における保険料の負担についても、負担能力に応じて応分の負担を求めることを通じて保険料負担の格差是正に取り組むべきである。

 国民健康保険の保険者の都道府県への移行は財政運営の安定化のみならず保険料負担の平準化に資する取組であるが、このほか、国民健康保険において、相当の高所得の者であっても保険料の賦課限度額しか負担しない仕組みとなっていることを改めるため、保険料の賦課限度額を引き上げるべきである。同様の問題が被用者保険においても生じており、被用者保険においても標準報酬月額上限の引上げを検討するべきである。

 後期高齢者支援金に対する負担方法について、健康保険法等の一部改正により被用者保険者が負担する支援金の3分の1を各被用者保険者の総報酬に応じた負担とすること(総報酬割)を2013(平成25)年度から2年間延長する措置が講じられているが、支援金の3分の2については加入者数に応じたものとなっており、そのために負担能力が低い被用者保険者の負担が相対的に重くなっていて、健保組合の中でも3倍程度の保険料率の格差がある。この支援金負担について、2015(平成27)年度からは被用者保険者間の負担の按分方法を全面的に総報酬割とし、被用者保険者間、すなわち協会けんぽと健保組合、さらには共済組合の保険料負担の平準化を目指すべきである。この負担に関する公平化措置により、総数約1400の健保組合の4割弱の健保組合の負担が軽減され、健保組合の中での保険料率格差も相当に縮小することにもなる。

 その際、協会けんぽの支援金負担への国庫補助が不要となるが、これによって生ずる税財源の取扱いは、限られた財政資金をいかに効率的・効果的に用いるかという観点から、将来世代の負担の抑制に充てるのでなければ、他の重点化・効率化策と同様に今般の社会保障・税一体改革における社会保障の機能強化策全体の財源として有効に活用し、国民に広く還元すべきである。こうした財源面での貢献は、国民健康保険の財政上の構造的な問題を解決することとした上での保険者の都道府県への円滑な移行を実現するために不可欠である。

 また、上記の健康保険法等の一部改正法の附則においては、高齢者の医療に要する費用の負担の在り方についての検討の状況等を勘案し、協会けんぽの国庫補助率について検討する旨の規定が付されており、これにのっとって、高齢者の医療に要する費用の負担の在り方を含めた検討を行う必要がある。その際、日本の被用者保険の保険料率は、医療保障を社会保険方式で運営しているフランスやドイツ等よりも低いことや、前述のとおり健保組合間で保険料率に大きな格差があること、その他被用者保険の状況等を踏まえ、被用者保険における共同事業の拡大に取り組むことも検討が必要である。

 加えて、所得の高い国民健康保険組合に対する定率補助もかねて廃止の方針が示されており、保険料負担の公平の観点から、廃止に向けた取組を進める必要がある。

 なお、後期高齢者医療制度については、創設から既に5年が経過し、現在では十分定着していると考えられる。今後は、現行制度を基本としながら、実施状況等を踏まえ、後期高齢者支援金に対する全面総報酬割の導入を始め、必要な改善を行っていくことが適当である。

 @これらもきみら厚生労働省ほか関係官僚のお仕事だろう。
 しっかりやってくれといいたいが、日本医師会はきっちりというべきことはいうべきである。

(2)医療給付の重点化・効率化(療養の範囲の適正化等)
 併せて、改革推進法(第6条第2号)では、医療保険制度について、「保険給付の対象となる療養の範囲の適正化等」を図ることも求められている。

 まず、フリーアクセスの基本は守りつつ、限りある医療資源を効率的に活用するという医療提供体制改革に即した観点からは、医療機関間の適切な役割分担を図るため、「緩やかなゲートキーパー機能」の導入は必要となる。こうした改革は病院側、開業医側双方からも求められていることであり、大病院の外来は紹介患者を中心とし、一般的な外来受診は「かかりつけ医」に相談することを基本とするシステムの普及、定着は必須であろう。そのため、紹介状のない患者の一定病床数以上の病院の外来受診について、初再診料が選定療養費の対象となっているが、一定の定額自己負担を求めるような仕組みを検討すべきである。このことは、大病院の勤務医の負担軽減にもつながる。もちろん、上記のような受診行動が普及するには、医師が今よりも相当に身近な存在となる地域包括ケアシステムへの取組も必要であり、医療の提供を受ける患者の側に、大病院にすぐに行かなくとも、気軽に相談できるという安心感を与える医療体制の方が望ましいことを理解してもらわなければならず、患者の意識改革も重要となる。

 さらに、今後、患者のニーズに応える形で入院医療から在宅医療へのシフトが見込まれる中、入院療養における給食給付等の自己負担の在り方について、入院医療と在宅医療との公平を図る観点から見直すことも検討すべきである。また、現在、暫定的に1割負担となっている70〜74歳の医療費の自己負担については、現役世代とのバランスを考慮し、高齢者にも応分の負担を求める観点から、法律上は2割負担となっている。この特例措置については、世代間の公平を図る観点から止めるべきであり、政府においては、その方向で、本年6月に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針」のとおり「早期に結論を得る」べきである。その際は、低所得者の負担に配慮しつつ、既に特例措置の対象となっている高齢者の自己負担割合は変わることがないよう、新たに70歳になった者から段階的に進めることが適当である。

 高額療養費制度については、所得区分ごとに自己負担の上限が定められているが、現行の仕組みでは、一般所得者の所得区分の年収の幅が大きいため、中低所得者層の負担が重くなっている。低所得者に配慮し、負担能力に応じて応分の負担を求めるという保険料負担における考え方と同様の制度改正が求められる。具体的には、高額療養費の所得区分について、よりきめ細やかな対応が可能となるよう細分化し、負担能力に応じた負担となるよう限度額を見直すことが必要である。上記のとおり、70〜74歳の医療費の自己負担に係る特例措置が見直されるのであれば、自己負担の上限についても、それに合わせた見直しが必要になるが、そのタイミングについては検討が必要になる。

 今後、後発医薬品の使用促進など既往の給付の重点化・効率化策についても効果的な手法を講じながら進めるとともに、上記を含め、患者の自己負担について「年齢別」から「負担能力別」へ負担の原則を転換するなど、中長期的に医療保険制度の持続可能性を高める観点から、引き続き給付の重点化・効率化に取り組む必要がある。

 @のへんはいつも厚生労働省が主張していることと同じ。

 日本医師会にはそれなりの意見をもっているし、厚生労働省のいいなりにならないよう、これからも主張しなければならない。

 たとえば日本医師会はかかりつけ医を提唱しているが、かかりつけ医に「緩やかなゲートキーパー機能」をもたすとは一言も言っていない。

 患者さんにとっては専門科目ごとにかかりつけ医をもちたいと望むのは当然である。わたしの外来に受診される患者さんも、わたしに高血圧の治療を期待しているのではない。

 かかりつけ医を総合診療医にして、医療費を抑制したい厚生労働省財務省の意向が色濃くあらわれている。

 この社会保障制度改革国民会議報告書ではそこまで断定的には論じていないが、かれら官僚の意向については今後も注視していく必要がある。

 総合診療医についてはわたしはすべてを否定しているのではない。
 高齢者医療に限らず、一般診療について、医者のすくない僻地などでは総合診療医のような、なんでもみてくれる医者が必要な場合があろうが、なにも専門医が潤沢に存在する、たとえば西成区では総合診療医は必要ない。ここんところはきちんとしておかないといけない。

 参考資料3に掲げたスウエーデンの例にみられるような、ポリクリの学生のほうがよほどましなレベルの低い総合診療医さんにしかみてもらえないような医療制度に改悪されないよう、国民、日本医師会、われわれ医師は監視する必要がある。

 ここはきわめて重要なので、第二部における提言でも触れることにする。

(3)難病対策等の改革
 希少・難治性疾患(いわゆる「難病」)への対策については、1972(昭和47)年に「難病対策要綱」が策定され、40年にわたり各種事業が推進されてきた。特に、医療費助成は、難病が原因不明であって、治療方法が確立されていないため、長期にわたる療養が必要となり、その結果、比較的若い時期から長期にわたり高額な医療費の負担が必要となるなどといった難病特有の事情に着目して設けられてきた。

 しかし、難病対策については、相対的には他の福祉制度等に隠れて光が当たってこなかった印象は否めず、対象となる疾患同様に原因不明で治療法未確立でも医療費助成の対象に選定されていないケースがあるなど疾患間の不公平が指摘され、予算面でも医療費助成における都道府県の超過負担の早急な解消が求められているなど、様々な課題を抱えている。難病で苦しんでいる人々が将来に「希望」を持って生きられるよう、難病対策の改革に総合的かつ一体的に取り組む必要があり、医療費助成については、消費税増収分を活用して、将来にわたって持続可能で公平かつ安定的な社会保障給付の制度として位置づけ、対象疾患の拡大や都道府県の超過負担の解消を図るべきである。

 ただし、社会保障給付の制度として位置づける以上、公平性の観点を欠くことはできず、対象患者の認定基準の見直しや、類似の制度との均衡を考慮した自己負担の見直し等についても併せて検討することが必要である。

 慢性疾患を抱え、その治療が長期間にわたる子どもについても同様の課題があり、児童の健全育成の観点から、身体面、精神面、経済面で困難な状況に置かれ、将来の展望に不安を抱えている子どもやその家族への支援として、難病対策と同様の措置を講じていく必要がある。

4 介護保険制度改革
 介護保険制度については、地域包括ケアシステムの構築こそが最大の課題であるが、それとともに、今後の高齢化の中で、持続可能性を高めていくために、改革推進法(第7条)において、「範囲の適正化等による介護サービスの効率化及び重点化を図る」こと及び「低所得者をはじめとする国民の保険料に係る負担の増大を抑制」することが求められている。
 まず、「範囲の適正化等による介護サービスの効率化及び重点化を図る」ことについては、上記2(4)で述べた予防給付の見直しのほか、利用者負担等の見直しが必要である。介護保険制度では利用者負担割合が所得水準に関係なく一律であるが、制度の持続可能性や公平性の視点から、一定以上の所得のある利用者負担は、引き上げるべきである。その際、介護保険は医療保険と異なり、利用者自身が利用するサービスの量を決定しやすいことなど、医療保険との相違点に留意する必要がある。

 さらに、施設入所の場合には、世帯の課税状況や課税対象の所得(フロー)を勘案して、利用者負担となる居住費や食費について補足給付により助成を受けることとなっている。その結果、保有する居住用資産や預貯金が保全されることとなる可能性があり、世代内の公平の確保の観点から、補足給付に当たっては資産(ストック)も勘案すべきである。また、低所得と認定する所得や世帯のとらえ方について、遺族年金等の非課税年金や世帯分離された配偶者の所得等を勘案するよう、見直すべきである。

 加えて、介護を要する高齢者が増加していく中で、特別養護老人ホームは中重度者に重点化を図り、併せて軽度の要介護者を含めた低所得の高齢者の住まいの確保を推進していくことも求められている。また、デイサービスについては、重度化予防に効果のある給付への重点化を図る必要があろう。次に、「低所得者をはじめとする国民の保険料に係る負担の増大を抑制」する観点からは、今後の高齢化の進展に伴う保険料水準の上昇に対応するため、低所得者の第1号保険料について基準額に乗じることにより負担を軽減している割合を更に引き下げ、軽減措置を拡充すべきである。第2号被保険者の加入する医療保険者が負担する介護納付金については、現在、第2号被保険者の人数に応じたものになっており、負担の公平化の観点から、被用者保険について、被保険者の総報酬額に応じたものとしていくべきであるが、後期高齢者支援金の全面総報酬割の状況も踏まえつつ検討すべきである。

 こうした取組も含め、負担の公平にも配慮しながら、介護保険料の負担をできるだけ適正な範囲に抑えつつ、介護保険制度の持続可能性を高めるため、引き続き、介護サービスの効率化・重点化に取り組む必要がある。

 @介護保険制度の改革も厚生労働省の従来の主張に準拠している。介護事業者の不正請求の横行など、さまざまな歪がでてきており、抜本的な改革改善が必要であることは論を待たない。
 官僚諸君よ、きっちり仕事をしてくれ。
 以下、最後の「年金分野の改革」については省略する。
 興味のあるかたは原文をおよみください。
 以上で社会保障制度改革国民会議報告書を批判的に読み解いてきた第一部は終了。
 財務省厚生労働省官僚が描く、医療と介護未来予想図はご理解いただけた事と思う。
 第二部では、わたしなりに考えた「2025年問題」の解決へむけての提言と、今後の医療と介護の展望について論ずることにする。