あうと・おぶ・ばうんず


サッカーと民族性

 W杯サッカーを観戦しながらふと考えた。このサッカーというスポーツの上手下手、向き不向きは民族性と関係があるのではないか?

 大正から昭和にかけて活躍した高名な哲学者、和辻哲郎博士は、民俗学にも造詣が深かった。著名な著書である、「風土」の中で彼は世界の民族の資質を、主に気候の面から二つに大別した。すなわち、乾燥気候下に暮らす遊牧牧畜民族と湿潤気候下に暮らす稲作農耕民族である。

 前者が属するのは、ヨーロッパ、北米、南米、オセアニア諸国そしてアジアでは中国、中央アジア諸国、朝鮮半島国家であり、後者が属するのはインド、東南アジア、台湾、そして日本であるという。(個人的な趣味だが、私は中国人よりもインド人のほうが親近感を覚える。また、インド人は例によって隣国中国とは犬猿の仲である。さて、インド人は日本人についてどう感じているのだろうか?気になる)

 和辻博士は、遊牧牧畜民族の特質について、自己主張が強く、積極性と野心に富み、一箇所に執着せず、行動範囲が広く、目的に向かっては野獣的残酷さを持って突き進むーと述べている。これは家畜の効果的な管理と、外敵の排除殲滅が必要であったことから醸成されたものであるという。

 また、稲作農耕民族は、性格が受容的忍従的であるという。これは大自然に逆らわずに、一箇所にとどまってじっくりと稲を育てるという生活様式から醸成されたものであるという。

 この和辻理論でサッカーというスポーツを考察してみると面白いことに気がついた。現在サッカー強国とされる国々はほとんどが前者、すなわち、遊牧牧畜民族に属するのである。(そもそもサッカーは英国生まれである)

 何故なのか?サッカーというゲームの性格が遊牧牧畜民族むきなのである。ボールを家畜にみたててみると、これがよくわかる。集団で家畜を追いたて移動し、大事な家畜を奪おうとする敵対勢力を撃退し殲滅するーまさにサッカーは遊牧牧畜民族が、彼らの娯楽のために生みに出したスポーツなのである。

 確かに一箇所にとどまって自然に逆らわず、じっくりと稲を育ててきた日本人にはサッカーは本来不向きであったのだろう。W杯アジア予選では、久しく韓国の壁を破れなかった。

 しかし、前回フランス大会では見事に予選を突破したし、今回のW杯ではベスト16まで勝ち進んだ。ということは、日本人の性格、行動様式が、サッカーに向いているとされる遊牧牧畜民族化してきている証左なんだろうか?

 そういえばフリーターと称して、定職につかず、30歳をすぎてもアルバイトで暮らす若者が増えているという。また、結婚しない男女-非婚というらしい-が増えているという。確かに結婚して家庭を持ち、マイホームを建てるということは究極の稲作農耕民族的生活様式なのだろう。最近何事にも不寛容で、すぐに「切れる」人間が多くなってきているのも気になる。

 有事法制だ、自衛隊海外派遣だなどと物騒なことを叫んでいる連中が増えているのはもっと気になる。血は水よりも濃し、という。何千年もかかって醸成された日本人の民族性-稲作農耕民族としての資質がそう簡単に変質するとは考えにくいのだが。

 ここで稲作農耕民族と遊牧牧畜民族との優劣を論ずることには意味がない。しかし、どちらのほうが平和的友好的また寛容であるかということは明瞭であろう。わが国の社会問題、ひいては地球規模での諸問題を解決する糸口は、この稲作農耕民族的思考と行動様式にあるように思うのだが。

 ところでゴルフというスポーツをこの和辻理論で解釈するとどうなるのだろうか?タイガー・ウッズには稲作農耕民族に属するタイ人の血も流れているという。全英オープン制覇にあと一歩まで迫った丸山をはじめとして、日本人が海外でも活躍するようになった。私の考えでは、ゴルフは稲作農耕民族に向いていると思う。(ただし典型的稲作農耕民族的性格および生活様式を有する私のゴルフの腕とはまた別の問題であることは強調しておきたい)

 いろいろ興味は尽きないが紙数が尽きた。続きはまたの機会に。