あうと・おぶ・ばうんず


わたしのライフワークー病診連携(診診連携)について

 巻頭言執筆のご依頼を受けたとき、わたしのような若輩者が、と逡巡しましたが、よく考えてみると、昨年還暦を迎えたわたしは決して若輩(年齢だけですが)とはいえないんだと思い直し、筆を採った次第です。

 わたしは、昭和56年に当時の小野教授に整形外科学教室への入局をご許可いただいた後、関連病院での勤務を経て、平成3年5月に、縁あって西成区天神ノ森にある医療ビルで開業しました。由緒ある天神ノ森天満宮の隣、閑静な住宅街の真ん中です。

 勤務医時代の思い出としてはやはり、中ノ島にあった今は無き大阪大学付属病院西八階病棟勤務の際、回診で小野教授からたびたびいただいた愛の鞭ともいえる「ボディブロー」です。あの感触はいまだに忘れられません。同じ思いのかたもおられるのではないでしょうか?

 さて、いまでこそ各科専門医が集合した医療ビルはありふれておりますが、当時はまだ珍しかった時代です。わたしが整形外科リハビリテーション科として入居した医療ビルは、5階建てで、内科循環器科、皮フ泌尿器科、 眼科、歯科、それに調剤薬局の総勢6科の専門医でスタートしました。(眼科のM先生は大阪大学昭和51年卒、富士先生佐々木先生の同級生です)

 幸いほかの医師とのチームワークもよく、最初から打ち解けることができました。(医療ビルの場合、鍵となるのは人間関係です。これが破綻して問題になっている例を多く見聞します。医療ビルでの開業をお考えのかたはご留意ください)

 残念ながら耳鼻咽喉科は今に至るまで入居がありませんので、「総合病院の外来」としての要件は満たせておりませんが、とりあえずは、あそこにいけばなんでもみてくれる、といったふうに地域住民のかたにはご理解いただいたようでした。

 しかしながら、当時はまだ多くの年配の開業医の先生の標榜科目が、「内科外科整形外科皮膚科レントゲン科」といったことからもわかるように、昔ながらの、いい意味でのかかりつけ医師として、一人の先生が風邪引きでも腰痛でも水虫でもなんでもみておられた時代でした。 つまり、病気ごとに専門医にかかる、という習慣があまりなかった時代でした。

 患者さんの側でも、整形外科と美容整形との区別がつかないとか、いわゆるセッコツインとの違いの認識が危うい人も多かった頃です。

 そのような古い風習(因習?)に固まった地域住民を対象に、年2回それぞれの専門領域の疾患の診断・治療に関して周知啓蒙するセミナーを開いたりして、各科専門医の診療所間の連携である、診診連携について説明し、また専門医による専門的な治療の重要さを訴えかけた結果、次第に地域住民のご理解を深めることができたとおもいます。

 あとは、この診診連携をもっと普遍化する、つまり医師会レベルでの、より広範な開業医の間のレベルにまで拡大化して、さらに日常的に普及してゆくことが必要であると考えました。

 わたしは10年ほど前から、地区医師会常任理事を拝命しており、病診連携を担当しております。大阪府立急性期総合医療センター、大阪警察病院、愛染橋病院の病診連携関連委員会の委員として、開業医とこれらの基幹病院との円滑な連携を構築することに腐心しております。

 病診連携、すなわち開業医と基幹病院との診療の連携については、病院の受け入れ体制が整備できれば比較的容易に構築できます。最近は対象基幹病院の側も、医師会と積極的に協調協力していただいております。

 既述の3病院のみならず、ほかの基幹病院についても、そのほとんどが地域医療連携室を設けて、開業医との連携を試みておられることから、かなり円滑な連携ができてきているかと考えております。

 たとえば、内科開業医が、糖尿病コントロール目的に基幹病院にコントロール入院を紹介する、といった場合などについては円滑に連携がなされてきております。大阪府立急性期総合医療センターの場合は、インターネットで特定診療科の特定医師を自由に選択し、空いている時間を、24時間365日いつでも指名して予約できるという、画期的なシステムを構築されており、多大な成果をあげています。

  同一診療科目間の病診連携については現状ではほぼうまくいけているとおもわれます。