あうと・おぶ・ばうんず


チャイコフスキー交響曲第一番

 年の瀬も押し迫った師走のある日、当院ナースのOさんが私に言った。「先生、新聞にのらへん?」-お金をだして「町の赤ひげ先生」とかなんとかいう提灯記事を書いてもらうんじゃないかとおもった私は、「いいよ。お金ないし」と答えた。ところが、「お金は要らないの。記者さんのインタビューに答えるだけでいいの、簡単よ。」とのこと。

聞けば、「マイベスト!映画・テレビ&音楽」という連載コラムがあって、映画・テレビ・音楽で人生の思い出に残るものについてエピソードを語る、という趣旨だそうだ。まったくの一般人が対象だが、医療関係者の応募が少なくて困っているとのこと。(この担当記者さんと彼女が家族ぐるみでつきあっているかただそうで、最初はナースの彼女に白羽の矢がたったものの、どうやら私にふったようだった。)

まあいいか、と気軽に引き受けたものの、さて何を選ぼうかと思案した。映画は確かに好きだし、DVDも洋画邦画とも家人に、「しまうところがない!」とおこられるくらい所蔵している。 (ご禁制のお宝DVDも含めてーただしこれは保管場所は極秘 一度家人にみつかって大騒ぎになったことがあるからである。したがって、残念ながら読者諸兄にもお教えすることはできない。あしからずご了承いただきたい。 パソコンについてはパスワードを設定してあるので、まあ大丈夫だろう)


 さて、おもいつくままあげてみると、「ドクトル ジバゴ」-これは医者が主人公だった。そして、ラベルのボレロが狂言まわしに用いられていた「愛と悲しみのボレロ」。そして大作「天井桟敷の人々」、最近では、例の「24」シリーズ。。。 邦画では最近見た、梅川事件(大阪の銀行立てこもり事件)を題材にした、「刺青あり」が面白かった。黒澤作品や寅さんシリーズなどなど。。。数え上げたらきりがない。

音楽も、クラシックとの出会いだった、Beethovenの「田園交響曲」、高校時代にはJAZZ, 大学時代は友人の影響で、EAGLESやDOOBY BROTHERS などのROCK,などが思い出される。いささか分裂症気味か? 

しかし、人生を変えたとか、思い出に残るといわれてもねえ、、、思案に暮れていたが、そこで、おもいついたのが、医学生時代に友人と何回かでかけた、北海道のオホーツク沿岸の小さな町での臨床研修の思い出だった。流氷におおいつくされた小さな港町と粉雪が舞うミルク色の雪空―北国の幻想的な冬の光景がチャイコフスキー交響曲第一番「冬の日の幻想」の曲想にぴったりだったのだ。

詳しくは、転載した新聞記事をお読みいただくとして、引き受けたら早速、大阪日刊スポーツ新聞社編集局報道セクションのチーフエデイター、島田博記者が当院までわざわざ来られてインタビューがおこなわれた。小一時間程度ですんだのだが、翌週の記事を見て、わたしが語った取り留めのない内容が見事に凝縮されており、改めて文章のプロの実力の凄さに驚嘆した次第。顔写真も意外と大きく出ており、なんか気恥ずかしかった。


 早速何人かの友人からメールなどで連絡があった。これもマスコミの威力か。
新聞にでたといえば、開業前に某市中病院で勤務していた頃に、大阪大学から阪神タイガースのキャンプドクターとして、1週間派遣されたときのこと。当時のエース野田投手が指のマメを潰して化膿したのを切開排膿するために安芸市民病院に同行した際、スポーツ新聞にバッチリ写真つきで取られたことがあった。(このときの顛末は以前医風に書かせていただいた。)

たかがつぶしたマメの処置を、スポーツ新聞らしい「野田手術!」という扇情的かつ衝撃的なタイトルだったかとおもう。ただし、念のため申し添えておくが、日刊スポーツではなかった。後日談だが、受け持ち患者さんには学会出張といっていたのが、ばれてしまった!「先生、見たで、、、かっこよかったですね。」なんて皮肉をいわれたことを思い出す。これまたマスコミの威力か? この威力を、医療崩壊にではなく、医療再生に向けてほしいものだ。


 それから、コットンビルで開業してから、あれは産経新聞の関連紙だったか? コットンビルの先生方と健康相談欄を受けもった際に、数年間整形外科分野を担当していたことがあった。それくらいだろうか?
ま、今後犯罪をおかすつもりもないし、万能細胞でノーベル賞もらうようなこともないだろうから、絶後といっていいだろう、新聞にのるなんてことは。
ということで、当該記事を転載して、皆様のお目を汚すことをご容赦いただく次第である。

(ああ、そうそう、島田記者からの伝言。医療関係者の応募をまだ切望しておられるとのこと。関心のあるかたは、記事の右下にある応募要領をご覧ください)