あうと・おぶ・ばうんず


子曰、朝聞道、夕死可矣

 恩師小野啓郎教授が主宰されていた大阪大学整形外科学教室に入局を許されて医師人生がスタートしてからまもなく40年に、縁あって天神の森で開業してから30年になろうとしている。

 長年コットンビルで苦楽を共にした林健郎先生が今年廃院されたこともあって、自らの医師人生のみならず、人生としての中締めを意識する今日この頃である。
昨年には役所から介護保険証が送られてきた。 立派な?高齢者の仲間入り、というわけか。

 開業医をいつまで続けるのか?これは定年のない開業医にとって実に悩ましい問題である。 日野原重明先生のように頭と体が正常に作動する限り医師を続けるのか?それともある時点で引退(勇退?)するべきなのか。。。

 医局の某先輩は65歳で引退を決意、後輩に継承開業してもらって世界遺産を巡る夢を実現させたものの、あまりの暇さにあきあきしたといって数年でまた医療の世界にもどってこられ、結局10年ほどで病を得て鬼籍にはいられた。

 亡くなられてずいぶんになるが、80歳を過ぎてまだ現役で診療されていた東天地区の大先輩の先生に「いつまで開業されるのですか?」と尋ねたところ、「僕より年上の患者さんが何人かいるんでねええ、、、やめるにやめられんのよ」と答えられた。

 (余談だが、開業当時受付をしてくれていた事務員が高熱でうなっているところへ赤ん坊のころからみてもらっていた件の先生に往診に来ていただいて、脈をとってもらっただけですうーと熱が下がり楽になったものだ、と述懐していた。 まさに開業医の鑑、わたしもかくありたい、と思ったものである…)

 一般企業にいった友人は、自営業を興したもの以外は皆すでに定年退職している。 盆栽に打ち込んで県知事賞を戴くまでに極めた友人もいれば、仏像彫刻を趣味として仏師として名をはせた友人もいる。 かといって自分に何ができるだろうか?

 たまに休みがあるから頑張って遊ぶのが楽しいのであり、毎日が日曜日では有難みも薄れるというものなのだろうか?

 久しぶりに会った定年退職した高校時代の友人曰く、定年後に大事なことは「きょういく」と「きょうよう」なんだそうである。

 字面どうりの意味ではなく、「きょういく」、とは今日行くところ、「きょうよう」、とは今日の用事、なんだそうである。 確かに朝起きてなんにもすることがない、あてもない、といった日々が続くのはいかにもしんどいだろうなあと思う。

 しかしここに忘れてはいけない重大な要素―「健康」という問題がある。
いつまで働くか、ではなく、いつまで健康でいられるのか、ということが本質なのだ。

 還暦を過ぎてから友人知己が病を得て云々といったことが急増してきたように思える。
つまりただ生きてますということではなく、介護の世話にならない、いわゆる健康寿命がいつまでか、という問題なのである。

 人生100年時代、なんて浮かれているが、皆が100歳までいきてはそれこそ大変だ。孔子の「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」を想起してみた。

 おさらいだが、ネットで検索したら意味は「朝に人がどう生きるべきかを悟ることができれば、夕方に死んだとしても後悔はないということ」とあった。

 我々の場合は「道」とは倫理としての「医道」であり、学問としての医学、ととらえることができよう。

 残念ながら万人に誇れるような「道」を聞いたことはないが、それでも自分なりに納得のいくような「道」を聞いたことは今までの人生で幾度かあったようにおもえる。

 ネットには対極の言葉として「酔生夢死」があった。 これは「何もせずに、むなしく一生を過ごすこと 生きている意味を自覚することなく、ぼんやりと無自覚に一生を送ること 酒に酔ったような、また、夢を見ているような心地で死んでいく意」とある。

 「道を聞こうと研鑽努力して、最後は夢を見ているような心地で死んでいく」―畢竟、人生とはこの両者の心境の狭間でもがいてゆくということなのだろうか?

 ブルックナーのシンフォニーの序奏のような原始の霧のなかからこの世に生まれ出て人生が始まり、やがてクライマックスを迎える、 誰にでも俺は覚醒した!「朝に道を聞いた!」と誇らしく思った瞬間を人生に一度ならず経験したことがあろう。

 しかしそれも長くは続かず徐々に収束してゆき最後はチャイコフスキーの悲愴交響曲の終楽章のようにチェロとコントラバスの重低音で静かに終わりを迎える。。。

 人生の終わりをあれこれ画策することに意味はない。なぜなら終わりが未知だからだ。(自殺を企図するような愚者は別) いつかやってくる人生の終焉をあれこれ考えることは無意味なのだ。

 ならばクライマックスを過ぎたと自覚した瞬間から自然体でいつかやってくるであろう人生の終焉を自然体で待つべきなのか?その自然体とは?

 大学病院で受け持った骨肉腫で若くして亡くなられたS君のくったくのない笑顔が思い出される。
もっと生きて青春を謳歌したかったことだろう。
彼にはどんな人生が待ち受けていたのだろうか。
中途半端な人生の終わり方をしては彼に申し訳ない気がする。

 今朝前日診断を付けた10歳の女の子の腓骨腫瘍を大学の腫瘍グループに入院手術を紹介し、おそらく良性だから心配しないようにと告げた時の母親の安堵の表情。

 そして府立急性期に依頼して両側人工膝関節全置換術をしてもらった患者さんを、ひさかたぶりに診察したら「痛みなく歩けるようになって嬉しい」とこぼれんばかりの笑顔、還暦とっくに過ぎた爺がこんなに人に喜ばれることがあるだろうか?

 せっかく苦労して医師になったのに、人から喜ばれ尊敬され信頼される、こんな「おいしい立場」をあっさりと捨て去るのはあまりにももったいなくないか?

 世界遺産見ようが世紀の名画を観賞しようが、そんなことには比べるべくもない法悦至極の世界を垣間見る権利を、簡単に放棄するのはいかがなものか?

 辺野古でくだまいている団塊爺や、いたいけな子供をひき殺す認知爺よりは世の中の役に立てるのではないだろうか、、、

 そしていまや年配の患者さんが大勢となってしまったが、わたしにはこんなかわいらしい信奉者がいる。(画像をご覧ください)先述の医師会の先輩の言に倣えば、「この子らが健やかに成長するのを見守らなあかんからやめるにやめられへんのよ。。」となるのである。

 こういったことに思いを巡らしているうちに、自分を必要としている患者さんがいる限り医師としての人生を全うしようという気になった。

健康寿命の間は医者を続けることにしよう!