あうと・おぶ・ばうんず


いまそこにある危機 ― 2025年問題を考える

第一部 社会保障制度改革国民会議報告書を読み解く

政府が考える、持続可能な社会保障制度構築とは?年寄りは自宅で死んでくれ!?
粗診粗療で医療費削減!?自宅の特別養護老人ホーム化と家族のヘルパー化による社会保障費削減!?

 先日ある医療問題を考える懇談会に参加して、医療経済学分野の大学院のある教授の講演を拝聴した。「社会保障制度改革国民会議の方向性」という演題であった。

 このかたは、内閣府の経済社会総合研究所の委員などを拝命されていて、政府の医療政策に影響をおよぼすことができる立場のかたである。

 今後わが国の社会保障制度の策定にもかかわってゆかれるということから、厚生労働省、ひいては政府が今後の医療介護についてどう変えてゆくつもりなのか、その片鱗にふれることができた。まずはこの講演からわたしが考えたことをご紹介する。(そのときも繰り返し強調されていたのが、この「2025年問題」である。)

 税と社会保障の一体改革関連法案成立後現在までの評価についての政府公式見解は以下である。(民主党政権時代のもので少し古いが、おおきく変わってはいない)

  1. 「いつでも好きなところでお金の心配をせずに求める医療をうける」医療から、「必要なときに適切な医療を適切な場所で最小の費用で受ける」医療に転換すべき。その際、適切な医療提供とは、疾病や障害にあった適切な場で医療を提供することを基本に考えるべき。
  2. 「病院で治す」医療から超高齢者に合った、「地域全体で治し支える医療」への転換が必要である。「地域全体で治し支える医療」とは在宅医療と介護の連携、すなわち地域包括ケアシステムを意味している。(重要なキーワードなので覚えておいていただきたい。この地域包括ケアシステムについては後述する。)
  3. 消費増税に見合った社会保障制度改革が行われるかが重要である。
    医療と介護に資する1.6兆円の内容について明らかにされるべきである。

(筆者注:医療と介護関連費用のさらなる締め付けを意図しているのか?お金をどこにどれだけ配分するか、それこそ適切に決めよう、ということ。当然診療報酬への配分は期待薄)
 これらに関して、政府は以下のように述べている。

医療保険における療養範囲の適正化について
  1. 現役世代の負担増、給付抑制によって、将来世代の負担増給付減を緩和する
  2. 中高所得者高齢者の本人負担の引き上げ、給付範囲の見直し効率化を図るべき
  3. 際限ない高齢者向け給付の増大は現役世代の生活設計を破綻させるため年齢別から経済力別へ負担の原則を転換すべき
  4. 後発医薬品の使用促進などで医療費をどのくらい減らせるか議論すべき

(筆者注:要するに「年寄りは手かからんうちに自宅で死んでくれ!粗診粗療で医療費削減!」という思想が根底に見え隠れするものとなっている。まあ、このへんが本音だろう。所詮現場を知らない官僚の考えることだ。)

 さて、これらの政府の方針にしたがって、議論され、まとめられたのが、この社会保障制度改革国民会議最終報告書である。

 マスコミ2紙より、このことを報じた記事を引用する。

産経新聞より引用
http://www.sankeibiz.jp/econome/news/130806/ecc1308060500000-n1.htm

国民会議が最終報告書「全世代型」社会保障へ転換

 政府の社会保障制度改革国民会議(会長・清家篤慶応義塾長)は5日、医療・介護分野を中心に高齢者や高所得者の負担増を盛り込んだ最終報告書を正式に取りまとめた。冒頭の「国民へのメッセージ」で「消費税収をしっかりと確保し、能力に応じた負担の仕組みを整備する」と記し、着実な消費税増税の実行を政府に求めた。

 超高齢社会でも持続可能な制度を構築するのが狙い。社会保障の機能強化には「税と保険料の負担増は不可避」と明記。給付の重点化・効率化を求め、負担の在り方を「年齢別」から「能力別」に切り替えるとともに、給付が高齢世代に偏って現役世代に手薄い現状から「全世代型」への転換を提言した。

 国民会議は6日、安倍晋三首相に報告書を提出。報告書を踏まえ、政府は改革の実施時期などを記した「プログラム法案」の要綱を21日に閣議決定し秋の臨時国会に同法案を提出する。

 報告書の総論では、高齢者にも「負担能力に応じ貢献してもらう」と強調。消費税増税が実現するころまでの「短期」と、団塊世代が75歳以上となる2025年を念頭に置く「中長期」と分け、改革の実現を図るべきだとした。各論では少子化対策、医療、介護、年金の各分野の具体的改革案を挙げた。(引用終り)

長野県保険医協会新聞より引用

第19回社会保障制度改革国民会議
2013年8月3日

8月2日に開催された社会保障制度改革国民会議において、前回の総論部分に続いて各論が示された。

医療・介護分野においては改革の方向性として「病院完結型」の医療から「地域完結型」の医療への転換をキーワードに、急性期医療への人的・物的資源を集中投入と入院日数の短縮ととの受け皿としての地域の病床や在宅医療・在宅介護の充実を推進する方向性を示した。このため、医療提供体制及び診療報酬・介護報酬の体系的な見直しを行うとともに、ゆるやかなゲートキーパー機能を備えた「かかりつけ医」の普及を必須とし、フリーアクセスの一定の制限を示唆している。

具体的には、医療・介護サービスの提供体制改革では病床機能報告制度、国保の都道府県移行、複数法人のグループ化など医療法人改革、地域包括ケアシステムづくりを推進する。また、「医療の在り方そのものも変化を求められている」として「総合診療医」は地域医療の核となり得る存在であり、その専門性を評価する取組(「総合診療専門医」)を支援するとともに、その養成と国民への周知を図ることが重要とした。そのうえで、一般的な外来受診は「かかりつけ医」に相談することを基本とするシステムの普及、定着が必須とし、紹介状のない患者の病院の外来受診に定額自己負担の導入などの検討の必要性も示している。

患者自己負担については、70〜74歳の医療費の自己負担については段階的に2割に引き上げるとともに、負担の原則を「年齢別」から「負担能力別」へと転換することを打ち出している。介護保険制度改革においても一定以上の所得のある利用者負担を引き上げるべきだとしている。

次回5日の社会保障制度改革で最終的な報告書のとりまとめを行い、6日に安倍首相に提出し、秋の臨時国会で具体的なプログラム法案を提出することになる。(引用終り)

大体の概要が把握できただろうか?

なお、社会保障制度改革国民会議の委員は下記のかたがたである。

 伊藤 元重 東京大学大学院経済学研究科教授
○遠藤 久夫 学習院大学経済学部長
 大島 伸一 国立長寿医療研究センター総長
 大日向雅美 恵泉女学園大学大学院平和学研究科教授
 権丈 善一 慶應義塾大学商学部教授
 駒村 康平 慶應義塾大学経済学部教
 授榊原智子 読売新聞東京本社編集局社会保障部次長
 神野 直彦 東京大学名誉教授
◎清家  篤 慶應義塾長
 永井 良三 自治医科大学学長
 西沢 和彦 日本総合研究所調査部上席主任研究員
 増田 寬也 野村総合研究所顧問
 宮武  剛 目白大学大学院生涯福祉研究科客員教授
 宮本 太郎 中央大学法学部教授
 山崎 泰彦 神奈川県立保健福祉大学名誉教授
◎は会長、○は会長代理

 拝見すると、驚いたことに、医師免許をもっているとおもわれるかたがおそらく永井氏と大島氏だけ!(永井氏は前職が東京大学大学院医学系研究科循環器内科教授)経済、法律福祉など医療と介護と無縁の、医療と介護の現場を知らない委員がほとんどなのである。これで医療と介護に実のある議論が尽くされたと考えるほうがそもそも無理があるというもの。

ま、そういった難癖は措くとして。。。。。
報告書はA4サイズで50ページにわたる長大な報告書である。インターネットでも厚生労働省のHPに全文が掲載されているので是非一度全文に目を通しておいていただきたい。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kokuminkaigi/pdf/houkokusyo.pdf

 この社会保障制度改革国民会議報告書を受けて、平成25年10月15日に、厚生労働省から持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律案が提出された。以下に概要を転載する。

・厚生労働省が今国会に提出した法律案について“第185回国会(臨時会)提出法律案”
 http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=192245

・平成25年10月11日付大臣会見概要
 http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=192207

(記者)
 介護の関係で2点なんですけれども、今日夕方に医療・介護の提供体制推進本部ができますけれども、これのねらいと例えばどういう形で何かアウトプットしていくのかということを1点伺いたいのと、あともう1点、今日一部報道で地域支援事業に要支援のサービスを市町村事業に移すということについてだいたい2,000億円程度の抑制につながるというような報道もありましたけども、この事実関係と改めてこの市町村事業に移すねらいというのと大臣の考えを伺えればと。
(大臣)
 今日午後立ち上げます医療・介護サービス提供体制改革推進本部でありますけれども、これは国民会議から御報告を頂いてその後閣議決定をして、これから次期臨時国会に法案を提出をさせていただきたいというふうに思っておるわけですね、プログラム法を。それに則って来年の通常国会からですね、順次いろんな法律を提出させていただく予定になると思います。を高めていただきながら、一方で医療費や介護費用の伸びというものですね、予防給付の部分でありますけれども、これを努力をいただければ抑えていける、抑えていければ実は地域の財政も助かるというのが介護保険からの給付という意味からなってますので、そういう意味からすればそこで抑えられれば今度は地域の財政も助かると、それぞれ自治体のと、いうこともございまして、そういうことも踏まえてこれから御議論をいただこうというような状況だというふうに御理解いただければいいと思います。
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/soumu/houritu/185.html

 さて、この社会保障制度改革国民会議報告書がなぜ重要なのか?

 それは、今後政府の医療と介護への施策はすべてこの社会保障制度改革国民会議報告書に基づいて作成されるからである。つまり、社会保障制度改革国民会議報告書を読み解くことで、近未来=2025年の医療と介護の全貌が見えてくるといっても過言ではない。

 では、この社会保障制度改革国民会議報告書の中の、医療と介護についての部分を批判を交えつつ、読み解いてゆくことにする。

 (その前に一言。この社会保障制度改革国民会議報告書に一貫して影響を与えているのが、財政再建と財政均衡主義である。そう、財務官僚が唱える、国にはもうお金がないから、できるだけ医療と介護へのお金はきりつめるよ、という思想である。

 この観点から、この報告書は有識者間の討議の結論とされているが、財務省厚生労働省ほか関係官僚が指示してまとめさせた、とまでは言わないが、彼らの意図を忖度したものであるというのがわたしの基本認識であることをご承知おき願いたい。

 つまり、この報告書は彼ら官僚が描いている医療と介護の未来予想図そのものである、ということだ。したがって社会保障制度改革国民会議報告書へのわたしの批判はすべて彼らにむけてのものなのである。実際にこの社会保障制度改革国民会議報告書の内容を実行に移すべく法案を立案するのはかれら、財務省官僚厚生労働省官僚たちであるのだから)

 まず、報告書序文の「国民へのメッセージ〜確かな社会保障を将来世代に伝えるための道筋〜」を転載する。

 日本はいま、世界に類を見ない人口の少子高齢化を経験しています。65歳以上の高齢人口の比率は既に総人口の4分の1となりました。これに伴って年金、医療、介護などの社会保障給付は、既に年間100兆円を超える水準に達しています。
 この給付を賄うため、現役世代の保険料や税負担は増大し、またそのかなりの部分は国債などによって賄われるため、将来世代の負担となっています。そのこともあり、日本の公的債務残高はGDPの2倍を超える水準に達しており、社会保障制度自体の持続可能性も問われているのです。

 しかしこの日本の人口高齢化は、多くの国民が長生きをするようになった結果でもあります。言うまでもなく長寿は人類長年の願いでもありました。戦後の日本は、生活水準の目覚しい向上によって、これを実現しました。

 そしてこれに大きく寄与したのが、実は社会保障制度の充実でした。医療保険、介護保険が行き渡り、誰でも適切な医療や介護を受けることができるようになったことが人々の寿命を延ばし、年金保険による所得保障が高齢期の生活を支え長寿の生活を可能にしたのです。

 日本が人類の夢であった長寿社会を実現したのは社会保障制度の充実のおかげでもあったことを忘れてはなりません。社会保障制度の成功の証が長寿社会です。

 その成功の結果が高齢化をもたらし、今度はその制度の持続可能性を問われることになったのです。私たちはこの素晴らしい社会保障制度を必ず将来世代に伝えていかなければなりません。そのために社会保障制度改革が必要なのです。

 社会保障制度の持続可能性を高め、その機能が更に高度に発揮されるようにする。そのためには、社会保険料と並ぶ主要な財源として国・地方の消費税収をしっかりと確保し、能力に応じた負担の仕組みを整備すると同時に、社会保障がそれを必要としている人たちにしっかりと給付されるような改革を行う必要があります。

 また何よりも社会保障制度を支える現役世代、特に若い世代の活力を高めることが重要です。子育て支援などの取組は、社会保障制度の持続可能性を高めるためだけではなく、日本の社会全体の発展のためにも不可欠です。全世代型の社会保障が求められる所以であり、納得性の高い社会保障制度のもとで、国民がそれぞれの時点でのニーズに合った給付を受けられるようにしていくことが大切です。

 福沢諭吉は「学者は国の奴雁なり」と書いています。奴雁とは雁の群れが一心に餌を啄ばんでいるとき一羽首を高く揚げて遠くを見渡し難にそなえる雁のことで、学者もまた「今世の有様に注意して(現状を冷静に分析し)、以って後日の得失を論ずる(将来にとって何が良いかを考える)」役割を担う、という意味です。私たちもまた、社会保障の専門家として、社会保障制度の将来のために何が良いかを、論理的、実証的に論議してまいりました。この報告書は、日本を世界一の長寿国にした世界に冠たる社会保障制度を、将来の世代にしっかりと伝えるために、現在の世代はどのような努力をしたらよいのか、ということを考え抜いた私たち国民会議の結論であります。

 平成25年8月6日 社会保障制度改革国民会議会長 清家篤

 @さすが御用学者、もとい、国家国民のことを憂える学識のある学者先生、なかなか格調高くまとめておられる。が美辞麗句はさておき、これでは何が言いたいのかさっぱりわからない。
 ということで各論を精読してみよう。

第一部社会保障制度改革の全体像
1 社会保障制度改革国民会議の使命

(1)これまでの社会保障制度改革の経緯
 日本のこの20〜30年の社会保障制度改革の経緯を概観すると、1990年代初頭にはバブル経済が崩壊し、日本経済が長期にわたり低迷する中で、1990(平成2)年には「1.57ショック」として少子化が社会問題として本格的に意識され、また、1994(平成6)年には、65歳以上の人口が14%を超え、高齢社会」が到来した。この中で、子育て支援の分野では「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について(エンゼルプラン)」(1994(平成6)年)が策定され、また、第5番目の社会保険として介護保険制度(2000(平成12)年)が実施された。

 また、2000年代以降には、社会保障構造改革として、年金制度改革(2004(平成16)年)、介護保険制度改革(2005(平成17)年)、高齢者医療制度の改革(2006(平成18)年)が実施され、これにより、各制度の持続可能性は高まったが、少子化対策の遅れ、高齢化の一層の進行に伴う制度の持続可能性、医療・介護の現場の疲弊、非正規雇用の労働者等に対するセーフティネット機能の低下等の問題が顕在化した。

 こうした状況を踏まえ、福田・麻生政権時の社会保障国民会議(2008(平成20)年)、安心社会実現会議(2009(平成21)年)において、新しい社会保障の在り方をめぐる議論が開始された。社会保障国民会議では、社会保障の機能強化について具体的な提言が行われ、安心社会実現会議では、社会保障、雇用、教育の連携を踏まえて安心社会への道筋が展望された。また、少子化対策としては、2007(平成19)年に「『子どもと家族を応援する日本』重点戦略」が策定された。こうした議論を踏まえ、平成21年税制改正法附則第104条には、消費税の全額が「制度として確立された年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する費用」に充てられることを含めた税制の抜本的な改革を行うための法制上の措置を2011(平成23)年度までに講ずることが明記された。

 さらに、民主党政権下においても、先の安心社会実現会議等の議論が引き継がれ、2010(平成22)年10月には社会保障改革に関する有識者検討会が設置されるとともに、社会保障の具体的な制度改革と税制改正について一体的に検討が進められた。2011(平成23)年7月には、「社会保障・税一体改革成案」が閣議報告されるとともに、昨年2月には「社会保障・税一体改革大綱」が閣議決定され、その内容を実現するための関連法案が、昨年の通常国会に提出された。衆・参両議院で合わせて200時間以上の集中的な審議が行われ、衆議院における修正等を経て、昨年の8月10日の参議院本会議で可決、成立した。

 消費税を段階的に10%に引き上げる税制改革関連法案及び子ども・子育て支援関連法案、年金関連法案の成立により、消費税収(国・地方、現行分の地方消費税を除く。)については、社会保障財源化されるとともに、消費税増収分の具体的な活用先として、子ども・子育て支援の拡充を図ること、年金分野においては、基礎年金の国庫負担割合を3分の1から2分の1に引き上げることのほか、低所得者に対する福祉的給付などの措置が講じられることとなった。

 @介護保険制度(2000(平成12)年)、社会保障構造改革として、年金制度改革(2004(平成16)年)、介護保険制度改革(2005(平成17)年)、高齢者医療制度の改革(2006(平成18)年)、これをみると、確かに社会保障制度改革が矢継ぎ早におこなわれてきたことがよくわかる。

 厚生労働省の例の不祥事などで遅れが出たりしたが、着実に実行されてきている。(小泉改革で社会保障費の年2000億削減という無茶な「改革」もあったが、われわれ 開業医はよく耐えたというべきか。。)

 政府厚生労働省の努力は率直に評価すべきであろう。特に介護保険制度と後期高齢者医療制度の改革はこれがなければとっくに破綻していたことだろう、(それだけにマスゴミの後期高齢者医療制度の悪意ある誹謗中傷は万死に値する。この制度の廃止を公約にかかげて政権を奪取した民主党も結局かわりの制度を提示できずに政権を追われた)

(2)社会保障制度改革国民会議の使命
 社会保障・税一体改革関連法案の国会審議が開始される中で、昨年6月、自由民主党、公明党、民主党の三党(以下「三党」という。)で確認書が合意され、それに基づき、三党の提案で社会保障制度改革推進法案が国会に提出され、他の一体改革関連法案と同時に昨年8月10日に成立した。社会保障制度改革推進法(以下「改革推進法」という。)においては、政府は、改革推進法に規定された基本的な考え方や基本方針にのっとって、社会保障制度改革を行うものとされ、このために必要な法制上の措置については、法律施行後1年以内に、国民会議における審議の結果等を踏まえて講ずるものとされた。また、国民会議の立ち上げに当たっては、三党の合意による国民会議における検討項目が示されている。

 このように、2008(平成20)年の社会保障国民会議以来の社会保障制度改革の議論については、2回の政権交代を超えて共有できる一連の流れがある。

 国民会議においては、こうした議論の流れを踏まえつつ、2012(平成24)年2月17日に閣議決定された社会保障・税一体改革大綱その他の既往の方針のみにかかわらず、幅広い観点に立って、改革推進法に規定された基本的な考え方や基本方針に基づき、社会保障制度改革を行うために必要な事項を審議することをその使命としている。

 @社会保障・税一体改革の掛け声のもと、消費税増税の正当性が政府マスコミ一体となって叫ばれることになった。ちなみに、デフレ不況下の増税は狂気の沙汰、と考える。

 いずれ間接税の比率を高め、所得税などの直接税を引き下げるという、いわゆる直間税比率の見直しとしての税制改革は必要だと思われるし、社会保障目的税としての消費税増税も将来的には必要であろう。

 しかしなぜいまなのか?なにもデフレ不況下である今増税する必要は無い。(まだデフレを克服できていないということは安倍総理自身が認めている)

 財務省が認めるように、消費税増税で確実に税収は増加するどころか減少するのだから、、、

 消費税増税を長年の悲願としてきた財務省が社会保障制度改革のどさくさにまぎれておしきったのである。いかにも狡猾なこずるい官僚のやりそうなことである。(ちなみにネットでは罪無能症アホ官僚などと揶揄されている)

 消費税増税でアベノミクスが失速すれば安倍政権の致命傷となりかねない愚作である。きちんとデフレを克服し、景気を浮揚させ、経済成長遂げて税収をふやすことこそいまの日本経済に必要なことであろう。

 安倍総理の政治姿勢を支持するわたしとしては、国土強靭化法などによる財政出動をおこない、消費税増税のマイナス効果を補うことを切望する。

 話が横道にそれてしまったが、、

 来春の消費税増税が決定した今、「社会保障制度改革を行うために必要な事項を審議することをその使命としている。」ということなので、その結果をこれから拝見してみよう。

2 社会保障制度改革推進法の基本的な考え方

(1)自助・共助・公助の最適な組合せ
日本の社会保障制度は、自助・共助・公助の最適な組合せに留意して形成すべきとされている。

 これは、国民の生活は、自らが働いて自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持するという「自助」を基本としながら、高齢や疾病・介護を始めとする生活上のリスクに対しては、社会連帯の精神に基づき、共同してリスクに備える仕組みである「共助」が自助を支え、自助や共助では対応できない困窮などの状況については、受給要件を定めた上で必要な生活保障を行う公的扶助や社会福祉などの「公助」が補完する仕組みとするものである。

 この「共助」の仕組みは、国民の参加意識や権利意識を確保し、負担の見返りとしての受給権を保障する仕組みである社会保険方式を基本とするが、これは、いわば自助を共同化した仕組みであるといえる。

 したがって、日本の社会保障制度においては、国民皆保険・皆年金に代表される「自助の共同化」としての社会保険制度が基本であり、国の責務としての最低限度の生活保障を行う公的扶助等の「公助」は自助・共助を補完するという位置づけとなる。なお、これは、日本の社会保障の出発点となった1950(昭和25)年の社会保障制度審議会の勧告にも示されている。

 社会保障制度改革においては、こうした自助・共助・公助の位置づけを前提とした上で、日本の社会経済の情勢の変化を踏まえて、その最適なバランスをどのように図るのかについて議論が求められている。

 @自助・共助・公助、、、彼らが聞きなれない言葉をだしてきたときは油断するな、ということですね。

 いかにも耳障りのいい単語だが、要するに、もういつまでも国に甘えるなよ、これからは自助努力、自己責任ですよ、ということなのだろう。そろそろ衣の下の鎧が見えてきましたね。

 では具体的にはどうなの?というのが下記。

(2)社会保障の機能の充実と給付の重点化・効率化、負担の増大の抑制
 社会保障と経済や財政は密接不可分な関係にあり、十分に相互の状況を踏まえながら、一体的に検討することが必要である。

 現行の社会保障制度の基本的な枠組みが作られた高度経済成長期以降、少子高齢化の進行、生産年齢人口の減少、経済の長期低迷とグローバル化の進行、家族や地域の扶養機能の低下、非正規雇用の労働者の増加による雇用環境の変化など、日本の社会経済情勢については、大きな変化が生じている。

 その中で、子育ての不安、高齢期の医療や介護の不安、雇用の不安定化、格差の拡大、社会的なつながり・連帯感のほころびなど、国民のリスクが多様化するとともに拡大している。こうしたリスクやニーズに対応していくためには、社会保障の機能強化を図らなければならない。

 また一方で、経済成長の鈍化と少子高齢化の更なる進行の中で、社会保障費は経済成長を上回って継続的に増大しており、国民の負担の増大は不可避となっている。  こうした中で、既存の社会保障の安定財源を確保するとともに、社会保障の機能強化を図るためには、税や社会保険料の負担増は避けられないが、こうした負担について国民の納得を得るとともに、持続可能な社会保障を構築していくためには、同様の政策目的を最小の費用で実施するという観点から、徹底した給付の重点化・効率化が求められる。

 また、社会保障が、現在、巨額の後代負担を生みながら、財政運営を行っていることは、制度の持続可能性や世代間の公平という観点からも大きな問題であり、現在の世代の給付に必要な財源は、後代につけ回しすることなく、現在の世代で確保できるようにすることが不可欠である。

 このため、「自助努力を支えることにより、公的制度への依存を減らす」ことや、「負担可能な者は応分の負担を行う」ことによって社会保障の財源を積極的に生み出し、将来の社会を支える世代の負担が過大にならないようにすべきである。

 また、ICTの活用や医療データの整備など社会保障の重点化・効率化につながるハード面の整備とそれを活用できる人材の育成などソフト面の整備が重要である。

 @「『自助努力を支えることにより、公的制度への依存を減らす』ことや、『負担可能な者は応分の負担を行う』ことによって社会保障の財源を積極的に生み出し、将来の社会を支える世代の負担が過大にならないようにすべきである。」

このへんがもっとも言いたかったところのようだ。

(3)社会保険方式の意義、税と社会保険料の役割分担

  1. 国民皆保険・皆年金と社会保険方式の意義
  2. 皆保険・皆年金のセーフティネット機能(防貧機能)の弱体化
  3. 税と社会保険料の役割分担

(4)給付と負担の両面にわたる世代間の公平

  1. すべての世代を対象とした社会保障制度へ
  2. 将来の社会を支える世代への負担の先送りの解消
  3. 「世代間の損得論」と高齢者向け給付の持つ「現役世代のメリット」

 @論評省略。お役所言語でわかりにくいことこのうえないが、要するに国にはもうお金がないのだから、ご自分でも努力してね、そのための制度改革をしますよ、ということです。
詳細は原文を参照願います。

3 社会保障制度改革の方向性
(1)「1970年代モデル」から「21世紀(2025年)日本モデル」へ
 日本の社会保障の枠組みは、1961(昭和36)年の国民皆保険・皆年金を経て、年金や医療の給付の大幅な改善が実施された1973(昭和48)年(「福祉元年」と呼ばれる。)に完成されたものである。右肩上がりの経済成長と低失業率、それにより形成された正規雇用・終身雇用の男性労働者の夫と専業主婦の妻と子どもという核家族がモデルの下で、「現役世代は雇用、高齢者世代は社会保障」という生活保障モデルが確立し、また、高齢化率も現在に比べるとかなり低いレベルであった。

 これに対して、1990年代以降の国内外の社会経済状況の変化の中で、これまでの社会保障が前提としていた日本の社会経済構造は大きく変化してきている。

 まず、日本の人口構成は他国に類を見ないスピードで少子高齢化が進んでおり、2025(平成37)年には、いわゆる「団塊の世代」がすべて75歳以上となり、高齢者の中でより高齢の者が増える超高齢社会になっていく。

 また、社会保障支出が増える中、支え手である生産年齢人口は少なくなっていき、一方で、核家族化の進行や高齢世帯の増加、さらには夫婦共働きの増加により、家族や親族の支え合いの機能が希薄化し、また、都市化に伴う生活様式の全国的な浸透や人口の減少により、地域の支え合いの機能も低下していくことを免れない。  さらに、高度経済成長期に形成され、安定経済成長期まで維持されてきた日本型雇用システムに代表される企業による生活保障機能についても、経済のグローバル化や経済の低成長に対応するために増加した非正規雇用の労働者については適用されず、これらの人々は企業の保護の傘から外れるといった状況になっている。雇用については、賃金や処遇の在り方を見直すことで、企業内の人材を育て、長期にわたって雇用する仕組みを維持しやすくすることが求められている。

 こうした社会経済状況の変化を踏まえ、日本の社会保障制度を「1970年代モデル」から「21世紀(2025年)日本モデル」に再構築して、国民生活の安心を確保していくことが、喫緊の課題となっている。

 男性労働者の正規雇用・終身雇用と専業主婦を前提とした「1970年代モデル」では、社会保障は専ら「年金」、「医療」、「介護」が中心となっていたが、「21世紀(2025年)日本モデル」では、年金、医療、介護の前提となる、現役世代の「雇用」や「子育て支援」、さらには、「低所得者・格差の問題」や「住まい」の問題なども社会保障として大きな課題となってくる。

 なお、1990(平成2)年に「1.57ショック」として、少子化問題が社会的に認識されたにもかかわらず、必要な施策が必ずしも十分に進まなかったのは、こうした施策が年金・医療・介護のように財源調達力の高い社会保険方式を採っておらず、当時、急速に悪化した財政状況の下で、必要な財源が確保されなかった点にも原因があったことに留意すべきである。

 したがって、「21世紀(2025年)日本モデル」の社会保障については、必要な財源を確保した上で、子ども・子育て支援を図ることや、経済政策・雇用政策・地域政策などの施策と連携し、非正規雇用の労働者の雇用の安定・処遇の改善を図ること等を始めとしてすべての世代を支援の対象とし、また、すべての世代が、その能力に応じて支え合う全世代型の社会保障とすることが必要である。

 また、限られた資源を有効に活用するとともに、Q O L(Quality of Life)の向上という観点から、様々な生活上の困難があっても、地域の中で、その人らしい生活が続けられるよう、それぞれの地域の特性に応じて、医療・介護のみならず、福祉・子育て支援を含めた支え合いの仕組みをハード面、ソフト面におけるまちづくりとして推進することが必要である。

 こうしたまちづくりを、21世紀(2025年)の新しいコミュニティの再生と位置づけ、こうした取組を通じて、超高齢化の中にあっても、誰もが安心し、かつ希望を持って生きることができる「成熟社会の構築」に向けてチャレンジすべきである。

 もとより、こうした社会保障制度の再編・再構築とは、日本の社会保障制度の持つ長所はそのまま生かし、時代に合わなくなった点を見直すことで、これまで以上に良い制度を後代に引き継ぐためものであり、真に必要な改革を着実に行うことが必要である。

 @ここで始めて「2025年問題」が登場する。さて彼らの言う、真に必要な改革、とは?

 (2)すべての世代を対象とし、すべての世代が相互に支え合う仕組み
 (3)女性、若者、高齢者、障害者などすべての人々が働き続けられる社会
 (4)すべての世代の夢や希望につながる子ども・子育て支援の充実
 (5)低所得者・不安定雇用の労働者への対応

 @これらも論評省略。詳細は原文を参照願います。

 さて、つぎは医療と介護への具体的な提言がなされている箇所である。 いよいよ本題にはいってゆきます。

6)地域づくりとしての医療・介護・福祉・子育て
 今後、大都市では、75歳以上の高齢者が急増する一方、地方圏では、75歳以上の高齢者数の伸びは緩やかになり、減少に転じる地域も少なくない。一方、過疎化が進む地域では、人口が急速に減少し、基礎的な生活関連サービスの確保が困難になる自治体も増加する。このように地域ごとに高齢化の状況が異なっており、また、地域の有する社会資源も異なることから、各地域において地域の事情を客観的なデータに基づいて分析し、それを踏まえて、医療機能の分化・連携や地域包括ケアシステムの構築など医療・介護の提供体制の再構築に取り組んでいくことが必要となる。

 高齢化に伴い患者が急増することによって、医療需要が量的に増加するだけでなく、疾病構造も変化し、求められる医療もそれに合わせた形で変化する中で、医療資源を有効に活用し、より質の高い医療提供体制を実現するため、医療機能の分化・連携を強力に進めていくことが必須であるが、その改革の実現のためには、在宅等住み慣れた地域の中で患者等の生活を支える地域包括ケアシステムの構築が不可欠である。

 過度な病院頼みから抜け出し、Q O Lの維持・向上を目標として、住み慣れた地域で人生の最後まで、自分らしい暮らしを続けることができる仕組みとするためには、病院・病床や施設の持っている機能を、地域の生活の中で確保することが必要となる。すなわち、医療サービスや介護サービスだけなく、住まいや移動、食事、見守りなど生活全般にわたる支援を併せて考える必要があり、このためには、コンパクトシティ化を図るなど住まいや移動等のハード面の整備や、サービスの有機的な連携といったソフト面の整備を含めた、人口減少社会における新しいまちづくりの問題として、医療・介護のサービス提供体制を考えていくことが不可欠である。

 また、地域内には、制度としての医療・介護保険サービスだけでなく、住民主体のサービスやボランティア活動など数多くの資源が存在する。こうした家族・親族、地域の人々等の間のインフォーマルな助け合いを「互助」と位置づけ、人生と生活の質を豊かにする「互助」の重要性を確認し、これらの取組を積極的に進めるべきである。さらに、(5)で述べたように、今後、比較的低所得の単身高齢者の大幅な増加が予測されており、都市部を中心に、独居高齢者等に対する地域での支え合いが課題となっている。地域の「互助」や、社会福祉法人、NPO等が連携し、支援ネットワークを構築して、こうした高齢者が安心して生活できる環境整備に取り組むことも重要である。

 このような地域包括ケアシステム等の構築は、地域の持つ生活支援機能を高めるという意味において「21世紀型のコミュニティの再生」といえる。

 病床機能の分化・連携や、地域包括ケアシステムの構築は、団塊の世代のすべてが75歳以上となる2025(平成37)年に向けて速やかに取り組むべき課題であり、その実現に向けて早急に着手し、全国から先駆的実践事例等を収集するなど、地域の特性に応じて実現可能な体制を見出す努力を促すための取組を早急に開始すべきである。

 医療・介護の地域包括ケアシステムの構築により、地域ごとに形成されるサービスのネットワークは、高齢者介護のみならず、子ども・子育て支援、障害者福祉、困窮者支援にも貴重な社会資源となり、個人が尊厳を持って生きていくための、将来の世代に引き継げる貴重な共通財産となる。

 @「在宅等住み慣れた地域の中で患者等の生活を支える地域包括ケアシステムの構築」---- さてまたまたでてきました聞きなれないお言葉、、これがKEYWORDです。

  これの具体化したものが後で詳述されています。とりあえず「高齢者は在宅で医療と介護をうけてもらいます。そのためのシステムを構築します。おなくなりになるのも病院ではなく、在宅でお願い申しあげます。」ということです。

(7)国と地方が協働して支える社会保障制度改革
(8)成熟社会の構築へのチャレンジ

 @これらも論評省略。詳細は原文を参照願います。

4 社会保障制度改革の道筋 〜時間軸で考える〜
 上記のような考え方に沿った制度の改革については、将来あるべき社会像を想定した上で、短期と中長期に分けて実現すべきである。

 すなわち、まずは、消費増税という国民負担を社会保障制度改革の実施という形で速やかに国民に還元するため、今般の一体改革による消費税の増収が段階的に生じる期間内に集中的に実施すべき改革である。また、中長期とは、団塊の世代がすべて75歳以上となる2025(平成37)年を念頭において段階的に実施すべき改革である。

 こうした時間軸に沿って、国民の合意を得ながら、目標に向けて着実に改革を進め、実現していくことが必要である。そもそも、少子高齢化が急速に進む我が国の現状を踏まえれば、社会保障制度改革の実施は先送りできない待ったなしの課題である。このことを十分に認識しながら、この改革を進めていく必要がある。

 このような改革の道筋については、定期的に改革の方向性やその進捗状況をフォローアップしていくことが必要であり、政府の下で必要な体制を確保すべきである。

 こうした社会保障制度改革には、以上のような政府(政治や行政)の取組だけではなく、実際にサービスを担うサービス提供事業者の自己改革が必要である。また、社会保障は、国民生活に密着し、一人一人にとって不可欠なものとなっている。こうした社会保障を今後も維持・発展させていくためには、社会保障を国民の共通財産として、守り、育てていくという意識を持つことが大切である。

 このためには、政府は、社会保障の現状や動向等についての情報公開等を行うだけにとどまらず、若い時期から、教育現場等において社会保障の意義や役割を学ぶことのできる機会を設けていくことが必要である。

 @時間軸、とはすなわち「2025年問題」である。
なんとしてでも、この2025年までに抜本的な社会保障制度改革をおこなわなければならないという決意の表明。